「私たちはもっと戦争に動揺しなければいけない」武田砂鉄が自らの鈍感さを再認識した戦争の記憶とは?

城内康伸『奪還 日本人難民6万人を救った男』

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闇夜の38度線突破 常松泰秀画(平壌公立第三中学校教諭)
闇夜の38度線突破 常松泰秀画(平壌公立第三中学校教諭)

 1945年8月、朝鮮半島。

 日本が無条件降伏した10日後には北緯38度線が封鎖され、北側に取り残された日本人は、「難民」の状態になる。飢えや病に襲われ、死をも覚悟した同胞たちを祖国へ導いたひとりの男―驚嘆するような活躍ぶりから、“引き揚げの神様”とまで呼ばれるようになった彼のことを、後世の私たちはほとんど知らない。

『奪還 日本人難民6万人を救った男』(城内康伸・著/新潮社)は、名もなき英雄「松村義士男(ぎしお)」による集団脱出工作に光をあてた発掘実話だ。

「一体、“先の戦争を知る”とはどういうことなのか」。そう自問するのは、フリーライターの武田砂鉄さんだ。これからちょうど1年後、日本は戦後80年の節目を迎えるが、戦争経験者の高齢化とともに「戦争の記憶」は消えてなくなるのか。「戦争を知らない世代だろうが、戦争は熟視できる」。だからこそ、「都合よく整理されていく、処理されていく、美化されていく戦争」を疑い続ける必要があるのだと、武田氏は語る。本書はそのための補助線になるはずだ。

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私はまだ、あの戦争をちっとも知らない

奪還

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 8月になると、テレビから「先の戦争を知る人が、年々少なくなっています」というナレーションが聞こえてくる。来年で敗戦から80年になる。実際に経験した人の語りを聞く機会が減っていく。耳を傾けなければいけない。

 でも、毎年聞くフレーズに頷きながらも、首を傾げもする。一体、「先の戦争を知る」とはどういうことなのか。「知る」なんて可能なのか。戦争の全体像って、誰がどのようにして掴めるものなのか。そもそも掴めるものなのか。近い将来、経験した人がいなくなった時、先の戦争はもう知ることができなくなるのだろうか。

 戦争を知らない世代だろうが、戦争は熟視できる。そう思っている。だからこそ、都合よく整理されていく、処理されていく、美化されていく戦争を疑い続けなければいけない。

 教科書的な理解、思想的な理解、限られた理解に落ち着かずに、何が起きていたのかを私たちはまだ知らないという立場を保持しなければならない。それこそが忘却を食い止める態度につながるはずである。

 城内康伸『奪還』を読みながら改めて思う。私たち、という主語が大きければ、私という主語に戻すが、私はまだ、あの戦争をちっとも知らない。本書の主人公・松村義士男を知らなかった。

在留邦人の集団脱出を企てたのは…

松村義士男=「北鮮の日本人苦難記」(時事通信社刊)から
松村義士男=「北鮮の日本人苦難記」(時事通信社刊)から

 1945年の敗戦後、朝鮮半島に住んでいた在留邦人は無残な「一本線」によって分断された。北緯38度線より北をソ連軍が、南をアメリカ軍が統治した。南朝鮮にいた邦人の本土への帰還は素早く行われた一方、北朝鮮にいた邦人は難民状態に置かれた。植民地支配から解放された人々がそこに残る邦人に対して酷い仕打ちを繰り返したのは想像に易い。

 松村はその地域にいた邦人を南朝鮮に集団で脱出させた。決して政府の要人ではない。むしろ逆だ。「戦前には労働運動に加担したなどとして治安維持法違反で、二度にわたり検挙された元左翼活動家だった」。羅南(ラナム)師管区工兵補充隊の二等兵として戦役に出ていた彼は、やがて、「引き揚げの神様」と呼ばれ、本書のサブタイトルにもあるように6万人もの日本人難民の命を救ったのだ。

 敗戦後すぐ、北朝鮮に残った邦人はソ連兵や朝鮮人から迫害された。モノを奪われ、女性は連れ去られた。敗戦によってひっくり返ってしまった立場、残酷さにおののきながらも打開策を探し出せない。

 松村は、戦前の左翼活動で築いた関係性を駆使しながら、集団脱出構想を練り上げていく。ソ連軍とも正面から対峙できた。アメリカ軍は、北朝鮮からの脱出者が一気に舞い込めば、コレラなどの感染症が拡大する可能性もあるとして、北緯38度線の越境を禁じる措置を求めてくる。敗戦によって生じた、それぞれの国々の論理は、そこにとどまらざるを得なくなった人間たちを摩耗させる。具体的には死に至らせた。

「引き揚げの神様」の生臭さ

城内康伸 著『奪還 日本人難民6万人を救った男』(新潮社刊)
城内康伸 著『奪還 日本人難民6万人を救った男』(新潮社刊)

 松村は、列車を使った大量輸送、漁船をチャーターした海路での脱出を企てる。確かな人脈、大胆な決断、取り残された人々の窮状を熟知し、いち早く動いた。やがて自らが引き揚げる時に、港に見送りに来た朝鮮共産党咸興(ハムン)市委員会委員の李達進(リダルジン)がこんなはなむけの言葉をかけたという。

「今まで日本人のしたことに悪いこともあった。また朝鮮人のしたことに悪いこともあった。しかし、明日は、お互いに明るく楽しく手を握って進もう」

 こういった文言をなかなか素直に受け入れられないのはその後の歴史を知っているからだろうか。そんな純度では歴史は動かない。でも、逆に、その場にあった純度を私は知らなかった。

 日本に帰ってからの松村の半生も手短に書かれているが、決して、多くの人に歓迎された人生ではなかった。「引き揚げの神様」は、ようやくたどり着いた本土ではうまくいかなかった。この生臭さが、生きて死ぬという人間のシンプルで重い命題を逆説的に浮き上がらせ、読者に突きつける。

 動乱の中にあって、動く道を作るのは誰なのか。暴君なのか、善人なのか、玄人なのか、素人なのか。複雑に絡み合う環境下で、具体的に動いたのは誰なのか。これほど多くの日本人を救った松村の存在がこれまで知られてこなかったのはなぜなのか。いわゆる「善人」ではないからなのか。教科書的な人物ではないからなのか。

もっと、戦争に動揺しなければいけない

 自分は飢えを知らない。襲い掛かる影を知らない。明日が見えない今日が延々と積み重なる日々を知らない。

 今、残念なことに、戦争や紛争の映像を繰り返し見せられている。病院にミサイルが直撃し、○名死亡と知らされる。打ちひしがれる家族の顔が映る。食事をしながらそれを見ている。かわいそうと思いながら、茹でたトウモロコシを「これ甘い」と言いながら食べている。自分の鈍感さにさえ慣れている。

 安直な共感を猛スピードで発生させて消費するスイッチが自分の中にある。そんなスイッチを確認すると我ながらゾッとする。私たちはもっと、戦争に動揺しなければいけない。

 こんな人がいたのだ。こんな人がいたことをずっと知らなかったのだ。

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武田砂鉄(たけだ・さてつ)…1982年生まれ。東京都出身。出版社勤務を経て、2014年からフリー。『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす 』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著書に『わかりやすさの罪』(朝日文庫)、『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋)、『なんかいやな感じ』(講談社)などがある。ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍。