数年前から下森消防団は年に一度、神森の中を一斉捜索するようになった。自殺者の遺体を見つけ、埋葬するためだ。
なぜかここ数年、神森は自殺の名所になりつつある。ネットでは「小樹海」と呼ばれているそうだ。面積でいえば富士の樹海より神森のほうが広いのだが。
毎回二、三体は遺体を発見する。悲惨なものだ。たいていは白骨化し、手足がばらばらになっている。動物に死体を喰われるのだ。ツキノワグマが出没することはめったにないが、森には肉食の小動物が跋扈している。キツネやイタチ、ネズミ。獣だけじゃない。鳥や虫も人を喰う。
骨になる前の死体の眼窩から蛆が這い出しているところなどを見てしまったら、しばらく干物は食えなくなる。人間は死ねばただのモノだとつくづく思う。
カエデの群生地では目の前も頭上も足もともぐるりと赤く染まる。風が吹くと赤く小さなてのひらが舞う。赤一色の中を通り抜け、平坦だった勾配も少しきつくなった時だ。
行く手の緩斜面を覆っている笹藪が、ざわりと揺れた。鹿か? いやもっと小さい。サル? まさか――
真人くん?
男の子の名前を呼んだ。
「マヒトくーん」
今回の捜索では団員も警察官もあまり子どもの名前を呼ばない。マスコミでは報じられていないが、男の子に発達障害があると聞かされたからだ。
「自閉症ってやつみたいだ。五歳って年齢以上に幼くて、名前を呼んでも答えないらしい。逆効果になるかもしれんのだと」
班長の松田さんはそう言っていた。でも、呼ばずにはいられない。
「おーい、マ、ヒ、ト、くーん」
笹が騒いでいたあたりに急ぐ。
何もいない。
おかしいな。
腰の高さまである笹の繁みを掻きわけて斜面を登り切ると、再び地面は平らになった。右手には二本の巨樹が聳え立っている。
夫婦の木だ。
ケヤキとブナが寄り添って立つように見えるからそう呼ばれているのだが、実はそんなロマンチックなものじゃない。土壌の乏しい神森には珍しくない「合体樹」のひとつだ。先に存在していたのはケヤキで、その根もとを覆った苔にブナの種がこぼれ、栄養をかすめ取って育ち、日光や水や養分を奪い合いながら一本の木のような姿に成長する。絡み合う枝や根は、仲睦まじいわけではなく、苛烈な生存競争の結果なのだ。
夫婦の木の地表近くには、土を争奪する根と根が交錯してできた空洞がある。
通りすぎようとした時、その洞から一対の瞳がこちらを見上げていることに気づいた。
いた。
(つづく)
※次回の更新は、5月31日(金)の予定です。
≪もっと読む≫
【試し読み】 直木賞作家・荻原浩待望の最新長篇『笑う森』②
【荻原浩さんインタビュー】森で失踪した5歳男児が1週間後に発見され「クマさんが助けてくれた」と証言…罪を犯した大人と謎が潜む長編小説『笑う森』とは
※この続きは、新潮社より発売中の『笑う森』でお楽しみください。