【試し読み】直木賞作家・荻原浩待望の最新長篇『笑う森』①

直木賞作家・荻原浩最新長篇『笑う森』刊行記念特集

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神森で5歳のASD児・真人が行方不明になった。1週間後無事に保護されるが「クマさんが助けてくれた」と語るのみで全容を把握できず、真人の母でシングルマザーの岬はバッシングに晒されている。真人の叔父・冬也の懸命な調査で4人の男女と一緒にいたことは判明するが、空白の時間は完全に埋まらない―。
5月30日に発売された直木賞作家・荻原浩さん2年振りの長篇小説『笑う森』は、罪と後悔の人生を光に変える、希望と号泣の物語です。
誰もが抱く拭えない過去を浄化に導く本作の冒頭部分を、本日から5日連続で特別公開いたします。

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装画 都築まゆ美
装画 都築まゆ美

 神森かみもり紅葉こうようは平地より早く、樹々のすき間の道とはいえない道には落ち葉が敷きつめられ、木立の底を黄金こがね色に輝かせている。消防靴で踏みしめるたびにざくざくと葉が鳴る音がした。
 頭上の梢の落葉樹の葉もとりどりに色づいているのだが、見とれている暇はなかった。目に入るのはもっぱら草紅葉だ。下森しももり消防団団員の田村たむら武志たけしは朝から森を彷徨さまよい、自分の背丈より長い警杖けいじょうで藪や灌木の中をつついている。
 夏に比べれば木々の繁りや下草も減って、見つけやすいはずなのだが、行方不明になった男の子の消息はいまだにわからない。二日目からは警察犬やドローンも投入し、四日目には神森の最深部、ぬえの木の周辺まで探したが、足どりすら掴めなかった。
 まさかとは思いつつ、数日前の雨がつくった水たまりも警杖で探る。
 嫌だな。田村はため息をつく。見つけたくはなかった。今日の神森はいちだんと寒い。ため息は白い息になった。

 13日午後4時ごろ、神森のトレッキングコースに来ていた男児(5)の行方が分からないと母親から110番通報があった。警察と消防合わせて約40人が捜索をしているが見つかっていない。男児は身長105センチくらいで黄色いダウンジャケットを身につけていた。神森付近の昨日の最低気温は摂氏2度で、男児の安否が気づかわれている。

 捜索開始から七十二時間を過ぎた木曜日からは、あきらかに方針が変わった。県警の動員が大幅に減り、消防団の参加者も田村を含めて十人ほどになった。雨が降ると匂いが追えなくなる警察犬も、繁り葉に阻まれて成果があがらないドローンも姿を消した。警察からのお達しは、これまでの捜索場所をもう一度丹念に捜すこと、というものだった。
 藪や草むらの下まで確認せよ、水のあるところは底をさら―ようするに死体を捜せということだ。
 捜索に参加した以上、自分の手で救い出してやりたい。そう思って土曜日の今日も店を妻に任せて捜索隊に加わっている。田村にも七歳になる娘がいる。陽菜ひなが一人で森に取り残され、寒さに震え、食べるものもなく何日も夜を過ごしている―考えただけで身震いがした。だが、いまは足どりが重い。
 今日は十一月十九日。行方不明から一週間が過ぎている。冬近い森で生存している可能性は限りなくゼロに近いだろう。
 死体は見たくない。まして子どもの死体なんて。出てくるなよ、どうか俺に見つけさせないでくれ。頭ではそう考えつつ、足は前へ進み、警杖を手にした両腕は機械的に動き続ける。