わたしたちに翼はいらない

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山田由乃の話 もしくはコニー・アイランドの踊り子

 コニー・アイランドという地名を由乃よしのがはじめて知ったのは十六歳の時だった。コニー・アイランドはもちろんのこと、外国には一度も行ったことがなかった。小学校の修学旅行で行った広島、中学の時に修学旅行で行った長野、そのふたつだけが遠出の記憶だった。外国に行ったことがないのは、二十八歳になった今でも変わらないけれども。

 He will say that I look like a Coney Island chorus girl.
 彼は、私がコニー・アイランドの踊り子みたいに見えると言うでしょう。

『賢者の贈りもの』をもとにした英語教材の文章の一部だ。夫に贈る金時計の鎖を買うために髪を売った妻が、短くなった自分の髪を鏡で見ながらそうつぶやく。
 お互いのために自分の大切なものを売った夫婦の愛も英文法も、記憶には残らなかった。ただその「コニー・アイランドの踊り子」という字面じづらだけが強烈に刻まれた。
 父のパソコンで検索して、コニー・アイランドがニューヨークの観光地であることを知った。ビーチ、観覧車、フリークショウ、独立記念日のホットドッグ早食い大会。漠然ばくぜんと想像していた「アメリカ」が、ぜんぶそこにつまっていた。
 コニー・アイランドの踊り子は、金髪に違いない。きれいな頭骨の持ち主にしか似合わない、耳を露出させたヘアスタイル。化粧は濃い。びっくりするほど長い脚を組んで、物憂ものうい雰囲気で煙草たばこを吸う、かっこいい女の人。
 十六歳の由乃の髪は長かった。校則で、肩より長い髪はみつあみにしなければならないと決まっていた。額の、いつも同じ場所ににきびができた。六歳から続けたバレエをやめる際「高校受験のために」とうそをつく程度には、自意識過剰な少女だった。
 いつも端役はやくしかもらえない。それが、バレエをやめたほんとうの理由だ。端役を演じること自体は嫌ではなかった。ずっと端役なのに、必死こいてレッスンしててうける、と妹に言われたのだ。
「必死」も「うける」も嫌だ。うける、と言われるような立場に甘んじるのは耐え難い。
 コニー・アイランドの踊り子なら、他人の嘲笑ちょうしょうにびくつかない。そんなふうになりたい。架空かくうの彼女のことを、いつも、いつも夢想した。
 鏡の前で化粧を落とす彼女、足のつめを赤く塗る彼女、名前も知らない彼女は、けっして由乃を見ない。他人のことなどどうでもいいの、と歌うように言う。
 由乃は彼女にあこがれ、それからほんのすこし、憎んだ。自分がぜったいにそうなれないことを知っていたから。
 行きたい場所がある、あんなふうになりたいと思う人がいる。そんなことはでも、誰にも話せなかった。ただひとり以外には。
(つづきは、明日17時公開予定です)

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