わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない

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 ファミリーレストランの野暮ったい花柄の壁にこめかみを押しつけるようにして、美南は座っていた。莉子が近づくと、小さく手を振る。栗色に染めた髪が、わずかに揺れた。
「あたし、これにする。期間限定だって。おいしそうじゃない?」
 ブラッドオレンジの果肉の色に塗られた美南の爪が、ラミネート加工されたメニューの「さくらんぼのブリュレパフェ」という文字の上に落ちる。グラスの底の、あざやかな赤色のゼリーの上におなじ色をしたアイスクリーム。サイコロ状に切ったチョコレートケーキの上のブリュレのカラメリゼがいかにも甘そうだった。てっぺんに鎮座するさくらんぼは珊瑚さんごの玉を思わせる。
「ドリンクバーだけでいいや」
 メニューを押しやる。
「ダイエット?」
 上目遣いで笑う美南に「そんなとこ」と笑い返した。ほんとうは、そもそも甘いものが好きではない。つきあいで食べているだけだ。みんなが好きなものを「きらい」と言うと場を白けさせる。
 昼食の後、間違えて娘の芽愛めあのいちご味の歯磨き粉をつかってしまった。何度も口をゆすいだのに、まだ口の中に甘い香りが残っている気がする。
 美南とは、中学まで一緒だった。高校で別れて疎遠そえんになったけれども、お迎えの時にばったり再会し、同じふたば保育園に子どもを通わせていることがわかった。芽愛はつい先月四月に年中さんになったばかりだが、美南の息子は年長クラスにいる。
 あたし、ほんとは働いてないの。何度目かに話した時、美南は声をひそめて莉子に打ち明けた。開業税理士である夫の事務所で就労証明書を発行してもらい、それで保育園の入園資格を得たという。
「莉子もそうでしょ?」
 その通りだった。父の会社を手伝っていることになっている。虚偽の証明書発行から入園までの経緯は、美南とほぼ同じだ。父の会社、といっても、従業員はいない。父ひとりでやっている会社だ。建設会社の下請けの下請けの下請けみたいなことを、細々とやっているらしい。でもそのことは誰にも話していない。「父は会社を経営している」とだけ言うことにしている。
 なんでわかるの、とたじろいだ莉子を見て、美南は薄く笑った。