梁斉河にとって更なる不幸は、それを発見してしまったことにある。
 考古学研究所の附属図書館に籠もり、書物に埋もれ夜を徹しての作業を続けること二ヶ月。
 なんしゅれつこくえん
 れきせいしんのうじゅうき
 という二書のなかに、壙と南という国名が記されているのを見つけたのだ。
『南朱列国演義』とは、天地かいびゃくから古代にかけての、朱州南部に興った国々の歴史を語った書である。編者は不明だが、素乾代(一四二五―一六三九)中期に成立したものと目されている。上古の史書をもとに俗伝で装飾したものとされ、典拠として引かれている書名は他に確認することができない。収められた物語の多くは南朱地方で古くから講談として受け継がれてきたものであり、実際のところ南朱列国演義とは通俗的な読本として流通してきた小説なのである。
 もう一方、『歴世神王拾記』とはしゅけん(一五二八―一六◯一)のせんで、上古から中世に至るまで伍州に存在していた聖王についての伝記である。その奇怪奇抜な内容から史実と取るものはない。歴世神王拾記は偽史、好意的な表現をしても奇書のたぐいだと見られている。版により大きく異同があり、おそらく書物が流通した地方の伝承や神話を取り込むかたちで増補されたのであろう。考古学研究所附属図書館には、複数の歴世神王拾記が所蔵されているが、壙という国名が記されている版はたった一冊しかなかった。
 要するに、どちらも虚構の産物なのであろう。
 だが、くだんの青銅器は紛れもなく存在している。斉河があらためて確認したところによると、発掘の指揮を取っていたのは欧州にて科学的発掘法を学んだ先輩研究員であった。彼の見立てによれば、矢形の装身具の製造年代は上古に遡るという。少なくとも、怪しげな土産物をつかまされたわけではなかった。所長の山勘があながち的外れではなかったことも、斉河の苦悩を深くする。
 なぜ、壙と南という国は正史に残されていないのか。
 なぜ、壙と南という国は偽史と小説のなかには残されているのか。
 しかし、いつまでも頭を抱えているわけにもいかない。答えを求めるべき相手はすぐ傍にいるのだ。
 書物の疑問は、まず書物にたずねなければならない。それが文献史学の基本であり、考古学者として守らねばならぬことであった。たとえ、伍州の考古目録に収まらぬ通俗的な白話文学であろうと、それを精読せねば何もはじまらない。
 壙と南。
 それが、いかなる国であったのか。
 歴史の真実を求めるため、梁斉河は虚構のなかへと手を伸ばした。最初に彼が手にとった書は

(つづく)