「地を這うことで満足しているあなたには、仰ぎ見ることすら叶わない崇高な目標に映るのでしょうから」
 そう言い捨てるなり、きびすを返した。
 肩を怒らせて教室を去るマヤの背中を、他の生徒たちはあっけに取られたように見つめることしかできなかった。
「待ってくれ!」
 靴音を響かせ石畳の上を歩くマヤを、ラッパを吹き鳴らしたような、よく通る声が呼び止めた。振り向くと、タデウシュ・スタルスキが駆け寄ってくるところだった。
「どうしたんだ。まだ、終業時間には早すぎるだろう」
「本当に理由がわからないっていうの」
 マヤの剣幕に、タデウシュは困ったように眉を寄せた。
「先生にだって体面というものがある。それを傷つけるような発言をしたのは、マヤのほうが先だろう」
「いえ。挑発をしてきたのは向こうが先よ」
「君らしくもない。なにをそんなに怒っているんだい?」
 二人は幼馴染ともいえる関係だった。
 タデウシュの父であるアベル・スタルスキはカロニムス・スタルスキ泥徒製造会社Kalonymus Starski Firma Golem―通称、KSFGを営んでいる。その名が示すとおり、イグナツ・カロニムスも共同経営者だった。
「別に、いつもどおりだけど」
 マヤはふてくされたような声を出した。
 過剰に反応してしまったのは、先日の父の言葉が頭に残っていたせいだろう。それがタデウシュに見透かされていたようで、余計に苛立ちが募った。
 そうとも知らず、タデウシュは火に油を注いでしまう。
「マヤは将来のカロニムス家の家長として、周囲の模範となるべき立場なんだ。先生の言葉ひとつに一喜一憂するべきじゃない」
 マヤの頬に、さっと赤みが差した。
「確かに、こんなところで無駄話をしている人間が家長になれるわけがないわね。そんな暇があるなら、一語でも秘律文の綴りを覚えないと」
 まくし立てるように返すと、再びかかとを鳴らし中央広場をつき進んでいった。
 呆然と立ち尽くすタデウシュの背後から、遅々とした足取りでスタルィが近付いてくる。
 タデウシュは、ばつの悪そうな笑みをスタルィに向けると、
「君の主人ならあそこだよ」
 遠くなったマヤの背中を指差した。

※この続きは、新潮社より発売中の『最果ての泥徒』でお楽しみください。