登山道の案内板に従ったのに遭難する事例が!辛酸なめ子さんも「命の危険」を感じた思わぬ落とし穴

『「おかえり」と言える、その日まで』特集

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画/辛酸なめ子
画/辛酸なめ子

 登山ブームにともない、遭難数が増加傾向にあります。警察や消防による捜索が打ち切られた後に、家族から依頼を受けて遭難者捜索へ向かう―そんな民間捜索団体のひとつがLiSSリス(Mountain Life Search and Support)です。

 代表の中村なかむら富士美ふじみさんは看護師として患者に寄り添ってきた経験を活かし、「この登山者だったら、どのルートを進んでしまうか」と探偵のように考え、登山者のご遺体発見していきます。
その中村さんが捜索隊の活動を詳らかにした一冊が『「おかえり」と言える、その日まで』(新潮社)です。山岳地帯や里山における行方不明者の捜索の現場では何が起こっているのでしょうか?

 発売から1年―「まるで推理小説のようだ」と話題になり、ロングセラーとなった本作の読みどころを、コラムニストで漫画家の辛酸なめ子さんが紹介します。
(本文・辛酸なめ子)

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全員、助からなかったケース

「おかえり」と言える、その日まで

「おかえり」と言える、その日まで

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 傷ついた人々が回復する手助けをしたい、そんな崇高な使命感を持って、小学校4年の時に医療の世界を目指した著者の中村富士美さん。まず、小学生の時から人を助けたいと思っているというのに驚かされました。女子小学生の将来の夢といえば、アイドル、お花屋さん、ケーキ屋さんといったところが定番ですが…。
 病院内での医療の仕事に従事していた中村さんが、救急対応について講習会に参加したことがきっかけで、山岳救助に携わる「山の師匠」と出会います。その後、実技試験を経て、国際山岳看護師の資格を取得。2018年に民間の山岳遭難捜索チームLiSSを立ち上げるという、山に導かれているような経歴。名前に「富士」という文字が入っているのは、山と深い縁がある運命を表しているかのようです。
 こうして中村さんが山岳遭難捜索の仕事を行なう中で、遭難した人を発見するまでの体験談を綴ったのが『「おかえり」と言える、その日まで』です。この本の中で紹介されているのは、全員、助からなかったケースというのが切なく、大自然の怖さを痛感させられます。
 捜索依頼を受けたら、家族と会って遭難者のプロファイリングを行なうという中村さん。看護学生だった時に患者さんのプロファイリングをした経験が役立ちました。名前、年齢、山登り歴といった基礎項目から、性格や職業、趣味、出発前の会話などを丹念に聞いていくそうです。普段プロファイリングする側の中村さんをプロファイリングしてみると、文章にはまじめで誠実で丁寧な人柄が表れているようです。
 例えば、以下のような登山道の状況描写など…。
「最初は水の流れる沢を数十メートル下に見ながら歩くが、登るにつれ次第に沢と登山道が合流して、やがて沢そのものが登山道になる」
 と、こんな風に周りの景色や山道など、全てを観察しながらわかりやすく丁寧に書いていて、読むと一緒に登山しているような気持ちになります。万一遭難したら、こんな信頼できる方に見つけてほしい、そう思えてきます。

そこそこ命の危険を感じた三輪山

 ところで山で遭難するのは、どんな時なのでしょう。四つん這いになったりロープをつたったりして登る必要がある、上級者向けの山で事故や遭難が起こると思っていました。でも、中村さんによると「山岳遭難の現場は、危険な高山だけではなく慣れ親しんだ低山も多い」そうです。気軽に日帰りの予定で山に行った人が戻って来ないというケースも少なくありません。私が登った、というか登拝したことがあるのは467メートルの三輪山(奈良県)ですが、慣れない私は途中で転んで前の人を見失い、そこそこ命の危険を感じました。ご神体の山なので、守られてなんとか下山できました。
 遭難してしまう原因は、 道迷い、滑落、転倒、けが、急激な天候の変化、雪崩など。低山でも里山でも起こりうるのです。この本の第1章は、奥多摩での遭難の事例です。小学生が遠足で登る低山でも遭難する可能性があるのです。遠足なら引率の先生がいて、人数確認しながら進みますが、大人一人で山に入ったら誰もフォローしてくれません。
「いつだって『えっ、たったそれだけのことで?』と思ってしまうほど、本当に小さなきっかけから遭難は起きる」と、中村さんは綴ります。
「道迷い遭難をしやすい代表的なパターンに『登りの沢、下りの尾根』というものがある」そうです。「登りの沢」は、道に迷ったまま沢を進んでしまうと、気付いた時には山の深いところまで入っていってしまっている、という意味です。沢は足場が悪い上に、滝が近くに存在していて滑落してしまう危険があります。人間の習性として水の音が聞こえたらそちらに行ってしまいそうですが、沢が三途の川になりかねません。「下りの尾根」は、正しいルートを外れたまま尾根を下っていくと、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう、ということを表します。

遭難したら、とにかく上に登ってほしい

 尾根について思い出したのは、昔、出雲の天狗山に何人かで行った時のこと。頂上を目指す人がいる中、山登りに不慣れな私は途中の尾根で待機することにしました。そのままそこで待ち続けて、下山してくる人と合流できたのですが、もしあのまま尾根を一人で歩いたら遭難していたのかもしれない、と思います。
 第2章で、60代女性のYさんが出かけたのは奥秩父の飛龍山。山頂を示す看板が地面に置かれていて、その先にうっすらと沢に向かう獣道が出来ており、間違って入ってしまう可能性がありました。「Yさんは、竜喰山りゅうばみやま山頂から沢に向かう道に間違えて入って遭難したのだ」という中村さんの予測通り、沢の中で発見されます。
 第3章の、60代男性Mさんのケースも、ズレていた看板の矢印を見て、反対側に進んで沢の方に行ってしまったのが遭難の要因でした。やはり沢は危険です。「山で遭難したら、下るのではなく、とにかく上に登ってほしい」と中村さんは訴えます。もしかしたら読者の心の中にこのフレーズが刻まれ、助かる命もあるかもしれません。また、登山の際は矢印に頼るのではなく、地図をしっかり読んで登った方が良いとのこと。地図が読めない私は…山に一人で入らない方が良さそうです。
 地図と言えば、この本に出てくる山の地図には、全く知らなかった山が記されていて、名前も印象的でした。例えば、奥秩父の竜喰山、神奈川県の鍋割山なべわりやま、新潟県の割引岳われめきだけ、栃木県の小法師岳など。山の数だけ伝説がありそうです。富士山、高尾山、浅間山、伊吹山、槍ヶ岳などメジャー系の山しか知らなかったので、こんなマニアックな山に一人で登ろうとしている人がたくさんいることにも驚かされました。日本の国土の約4分の3は山地なので、無数の、名も知れぬ山々が連なっているのでしょう。その山に引き寄せられるのは日本人としてのDNAでしょうか。
 数多くの捜索をこなし、危険な山道を進みながらも、LiSSのメンバーは今のところ無事に捜索活動を続けています。早く見つけてほしい遭難者の魂が守り、導いてくれているのでしょうか。発見後は、遭難者が最後に見た景色を写真に撮ったり、慰霊のために後日ご家族と一緒に山に登ったり、アフターケアも丁寧で成仏に導かれそうです。この細やかな気配りと、自然への畏敬の念が、安全に登山する秘けつなのかもしれません。

【もっと読む】「切ないのに救われる」看護師マンガ家・明さんによる『「おかえり」と言える、その日まで』(中村富士美著、新潮社刊)感想マンガはこちらから。

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
漫画家、イラストレーター、コラムニスト。1974(昭和49)年東京都生れ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。興味対象はセレブ、芸能人、精神世界、開運、風変わりなイベントなど。鋭い観察眼と妄想力で女の煩悩を全方位に網羅する画文で人気を博す。著書に『スピリチュアル系のトリセツ』『無心セラピー』『女子校礼讃』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』、『ヌー道 nude―じゅんとなめ子のハダカ芸術入門―』(みうらじゅん氏との共著)など多数。