【試し読み】「日本ファンタジーノベル大賞2024」大賞受賞作!『猫と罰』⑤

猫好き集まれ!『猫と罰』刊行記念特集

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「慈愛と寛容のものがたり」(漫画家・ヤマザキマリ氏)、「猫好きにはたまらない一冊」(女流棋士・香川愛生)と各界の猫好きが大絶賛する、宇津木健太郎氏のデビュー作『猫と罰』は、明治の大文豪、夏目漱石の黒猫が輪廻を巡っていく「日本ファンタジーノベル大賞2024」受賞作です。
かつて漱石と暮らした黒猫は、何度も生と死を繰り返し、ついに最後の命を授かった。過去世の悲惨な記憶から、孤独に生きる道を選んだ黒猫だったが、ある日、自称“魔女”が営む猫まみれの古書店「北斗堂」へ迷い込む―。猫好きには堪らない”ハートフルビブリアファンタジー”の冒頭部分を5日連続で特別公開いたします。

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 飯は、主に虫だった。バリバリと噛み砕く歯応えは、神社の裏手の森で食べたそれと殆ど変わりない。だが数が圧倒的に少なく、これから徐々に寒くなるこの季節、脂肪を蓄えるには苦労すると思われた。
 飲み水も問題だ。あの田舎ならばちょっと歩けば川があり、農業用水があった。だが、住宅地には手軽に飲める水が流れる場所が無い。仕方なく、雨樋あまどいから落ちて溜まった水を舐めたり、やっと見付けた開渠かいきょを流れる心許ない水を飲むなどした。が、後者に至っては妙な味がした。
 寒さから逃げる為に街に出たつもりであるが、どうにも過ごしづらい。人が自然と共に生きることを選んだ田舎ではなく、自分達に合わせて環境の方を作り変えてしまった都市部で猫が生きるのは、大変な苦労を伴うものなのだと、改めて思い知らされた。
 今まで己は、どうやって冬を過ごしていただろうか。思い返せば、憎まれ口を叩きながらも人間の傍で生活し、連中の持つ何かしらを利用して生き抜いてきたように思う。同時に、己の死因の多くに人間が関わっているのも事実だ。誠に遺憾である。そして非常にしゃくであった。
 最早もはや広く地上の土地が人の物となってしまった現代において、或る程度は人間にびなければ満足に生きられないのは紛れもない事実だ。だがそれに気付いてもなお、愛想を振り撒きニャアと鳴き、飯をねだる真似だけは御免である。連中の捨てた残飯を漁って空腹を満たすことでようやく、己は「自分で飯にありついた」という尊厳を守るのである。
 …だというのに、己は再び、あの古本屋の近くに足を運んでいた。
 奇妙な女が放っていた雰囲気や態度が、今でもはっきりと思い出される。馴れ馴れしい態度。何もかも見透かしたような口調。己に構おうとしているくせに、飄々とした柳のような掴みどころのなさ。
 そんなあいつの何もかもがいけ好かなくて、信頼が置けないというのに、何故こうして足を向けてしまうのだろうか。
 昼過ぎ頃、店の向かいの空き地に不法投棄された廃車の下に身を潜め、じっとその古本屋を観察した。
 あの茶白が『北斗堂』と言ったのは、この古本屋の屋号だった。明朝体の活字で書かれた色気の無い看板は、仰々しい面構えをしているくせに、さびや色褪せた黒文字の所為で客寄せの仕事を放棄しているかの如く存在感を無くしている。むしろ店頭に出され、チョークで書かれた洒落しゃれっ気のある黒看板の方が、場違いな雰囲気を出している分、人目を引いた。
 それを除けば、あとはオンボロなだけでどうということのない普通の古本屋だ。あの男と同様、気難しい連中が好きそうな日焼けした本もあれば、ここ十年程度で出版されたとおぼしき本もある。店内の様子は、本が所狭しと並べられている昔ながらの古本屋の姿そのままである。そして当然のように、客は居ない。
 居るのは、猫である。
 店先と店内に、合計で四匹。先日の茶白、三毛、茶トラ、そして白黒のハチワレだ。店の前の道でだらりと寝転がっていたり、店番のように門前でちょこんと座っていたり、中には店内の本の上に乗り体を丸めて寝ている奴まで居る。どいつもこいつも好き勝手に、思うままに生活しているらしい。
 連中を傍目はために見て、己は全く呆れてしまった。連中は、己が嫌うタイプの『飼われ』だった。与えられた餌をむさぼり、怠惰に一日を過ごし、人間のいいように生き方を変えて従い、媚びへつらう。しかも、人はそれを無条件にでる。
 全く、救い難い愚か者ばかりではないか。
 目の前に出される餌で満足し、生き抜くということが何かを忘れてしまった連中だ。己を捨てた、母や姉兄と同じように。
 あの女店主が、饅頭まんじゅうを頬張りながらサンダルを突っ掛け、表に出てきた。水の入った一リットルペットボトルを抱えている。それを、黒看板の傍らに置いた水皿に足していた。猫達が飲む為の水らしいが、誰もそれに手を付けない。
 何をしているんだ、あの女。馬鹿か。
 意図を摑めぬままぼんやり女を見ていると、店の前に鎮座している茶白に向かって「お客さん、来そう?」と当然のように話し掛ける。茶白はそれを一瞥いちべつし、尻尾をぱたぱたと動かしながら、通りの先をじっと観察している。女も気にする様子は見せず、そのまま店内へ戻っていった。
 本当に、よく分からない連中だ。
 呆れながら、己は土草の匂いと鉄錆の臭いが入り混じる廃車の下で、眠りに就く。