【試し読み】「日本ファンタジーノベル大賞2024」大賞受賞作!『猫と罰』③

猫好き集まれ!『猫と罰』刊行記念特集

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「慈愛と寛容のものがたり」(漫画家・ヤマザキマリ氏)、「猫好きにはたまらない一冊」(女流棋士・香川愛生)と各界の猫好きが大絶賛する、宇津木健太郎氏のデビュー作『猫と罰』は、明治の大文豪、夏目漱石の黒猫が輪廻を巡っていく「日本ファンタジーノベル大賞2024」受賞作です。
かつて漱石と暮らした黒猫は、何度も生と死を繰り返し、ついに最後の命を授かった。過去世の悲惨な記憶から、孤独に生きる道を選んだ黒猫だったが、ある日、自称“魔女”が営む猫まみれの古書店「北斗堂」へ迷い込む―。猫好きには堪らない”ハートフルビブリアファンタジー”の冒頭部分を5日連続で特別公開いたします。

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 暑い夏も盛りを過ぎ、森に流れてくる風もわずかに涼しくなった頃。
 体が大きくなってからは、神社のすぐ裏手にある森の茂みに隠れて眠ることを覚えた。が、吹きさらしの縁の下は、一匹だけの身ではどうにも寒くて仕方がない。
 社の中にどうにかして潜り込んで夜を明かすことも出来たが、日中は難しい。いつ、例の動物嫌いの男がやってくるかも分からぬのでは、落ち着かなかった。
それにそろそろ、この場所にも飽きた。
 家族の温もりも無く、ただ無為な毎日。何より、己一匹だけになったその場所でぽつねんと過ごすことしか出来ないのでは、どうにもつまらぬ。加えて、山や海に近い場所は、これからの秋や冬にはひどく寒くなるものだ。この社の下でぬくぬく過ごせるとは思えぬ。
 どうしたものかと考える内に、過去に受けた生の中で幾度か、都会で生活する人間の厄介になった短い期間を思い出す。多くの人間が群れと大きな集落を作って生活している所為せいか、冬場も比較的暖かかった。悪臭は田舎よりもひどいが、不本意な形で凍え死ぬよりは余程よい。
 己は、街へ行くことを決めた。
 しかし、県境をまたいでそう遠くへ行く必要はない。何より、向かった先が今より寒い場所では元も子もなかった。己は腹ごしらえを終えてひと眠りした後、夜の闇に紛れて山を下りることにする。取り敢えず、南だ。己は、まだ少しぬかるんでいる砂利道をトボトボと歩く。
 月の左半分が欠けた、何等なんとうか明るい夜だった。それでも、己の真っ黒い体は十分に夜に溶け込んでいるはずだ。厄介な獣や人間に見付からずに、山道や農道を抜け、人里へと向かえるだろう。
 虫の鳴き声が、一面の田圃から聞こえた。合唱のようなそれは、繊細な己ら猫には耳障りで仕方ない。カエルの声までする辺り、森の中より騒々しい。早く抜けてしまいたいが、田圃は何処までも続いていた。
 何も考えることが無く、思考は自然と、消えてしまった家族を追う。三月みつきにも満たない短い間の付き合いだったが、それでも己の中で強く印象に残る存在であることが、腹立たしい。
 ──何処へ行くの?
 そんな、母の声が聞こえた気がした。
 ハッとして振り返るが、己の歩いてきた未舗装の道路と、何枚もの田圃が広がるばかりである。その向こうに、まだ明かりの点いた家がぽつりぽつりと点在している。ただでさえまばらな家々は、更に閑散としているように見えた。
 『七つめ』の時のことを、ふと思い出す。
 散々人間に絶望し、生まれ変わった先は猫の住む島だった。猫島だなんだとテレビにも取り上げられて、来島者が己達に無駄に戯れにやってくるし、飼えなくなった猫をわざわざ捨てようとするどうしようもない奴も来る。そんなめのような島だ。
 己は、『七つめ』の一生をそこで終えた。既に人間を信じることが出来ず、同族と群れることも出来ず、ただ孤独に生きた。周りに幾らでも猫が居るにも拘わらず、誰とも距離を縮めようとしなかったあの頃のことを、点在する家の明かりがありありと思い出させる。
 自由気ままに生きるとは、そういうことだった。今、己がたった一匹で街を目指そうとしているように。
 冷たい夜風に身を震わせて、己は足早に村を離れた。