猫と罰

猫と罰

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『九つめ』の、最後の命。
 どんなにみじめったらしい最期を迎えることになろうとも、本当にこれが最後の『九つめ』である。しかし己は、誰にも何にも期待せず、ただ漫然と生きると決めていた。
そんな後ろ向きな決意など知るよしもない母は、他の姉達や兄に対してと同様に、己の体を丁寧に舐め、慈しんだ。
 場所は神社の縁の下で、雨が降っていて妙に寒い。体は濡れなかったが、『八つめ』までに蓄積した知識や経験がすぐに思い出せず、その寒さに本能的な恐怖を覚えて身震いしてしまう。
慰めるように母は己の体を舐め続け、姉と兄は常に己に寄り添う。無条件に与えられるこのぬくもりと優しさは、どの命に産まれても変わらない。しかしすぐに失われるものだということは、痛いほどに理解していた。だから己は、こいつらに甘えることなくただ沈黙し、なすがままにする。雨が土や木々の葉を叩く音を聴きながら、その日はすぐに眠った。
 暗く湿った神社の縁の下が、己達家族のねぐらである。
 母と、二匹の姉と一匹の兄。みんな毛並みは茶トラやキジトラだったが、己だけは真っ黒である。肉球まで黒く、母はその一貫した色合いに感心した。
「真っ黒で綺麗だねぇ」
 上の姉もそんなことを言ったが、己にとってはもう何十年となく付き合い続けた毛並みなので今更何を思うこともない。そんな素っ気ない己のことを、兄は「可愛くねえな」と愚痴りながら、自身の毛繕けづくろいをする。
 母の乳を吸いながら、己は徐々に記憶を取り戻していった。もう何度も繰り返してきた、八つの命の記憶。それらを思い返し、脳裏に焼き付ける毎に、己はどんどんと他者に対して警戒心を強めていった。本来心を寄せるべきであろう、母と兄、姉に対しても。
 それでも、彼らは己を見捨てない。可愛げの無い己のことを世話し、面倒を見る。その様子を観察しながら、己はぼんやりと考えた。
 親は子に、惜しみない愛を注ぐ。そこに見返りは無く、この無償の愛は不変とされるのが通念であろう。この愛こそが子を育み、生き抜く力となり、次の世代に引き継がれる。まさしくこれは献身的行為であり、また恒久的愛情に見える。だが、それが真に愛なのか?
 馬鹿馬鹿しい。とこしえに続く愛など、存在するものか。親兄弟という割り振られた記号が引き起こす、義務的な行動に過ぎぬ。
 今まで殆どの命を無残に散らしてきた己からすれば、真実の愛情など、絵空事の夢物語だ。
無駄なことは全て忘れ、無視するに限る。それが生きるコツというものだ。その点で言えば己ら猫は、人間より余程賢く生きているだろう。
 …だからもう、誰の世話にもなるつもりはない。
 もう己に関わらないでくれ。
 もう、人間は御免なのだ。

(つづく)
※次回の更新は、7月2日(火)の予定です。