第一話 推しが門司港を熱くする①

【試し読み】大人気シリーズ最新作! 町田そのこ『コンビニ兄弟3』

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 その日、中尾なかお光莉みつりは浮足立っていた。
 生まれて初めて、好きなひととデートしたときよりも、自身が連載している漫画『フェロ店長の不埒ふらち日記』が『WEBで読める面白い漫画大賞』に入賞したときよりも、うきうきそわそわしているかもしれない。昨日は二十一時には布団に潜り込んだのに、ほとんど眠れなかった。心臓がずっと駆け足ペースで動いている。全然、落ち着かない。
「ああ、どうしよう。こんなにペースを速めてたら、心臓が疲れて死んじゃうかもしれない」
「いっそ休めばよかったじゃないすか」
 ため息をいた光莉へけんもほろろに言ったのは、煙草の補充をしている廣瀬ひろせだ。
「休んだら休んだで、何にも手につかないと思うのよ」
「そこまで興奮するもんすか」
 手を止めて、廣瀬が外に目をやる。八月の街は、朝からすでに日が照りつけていて、気温をぐんぐん上昇させていた。
「するものなの。わたし、Q-wickクイックるくんが大好きだもん」
 今日、Q-wickの“采原さいばら或る”が門司港もじこうの一日観光大使として活動しているのだった。
 Q-wickとは、九州を中心に活躍している男性アイドルユニットである。メンバー八人全員が九州各県出身、というのがアピールポイントで、それぞれの出身地の方言で喋るのが魅力。采原は福岡県の北九州市出身だった。
「采原より、津島つしま大地だいちのほうが人気じゃないすか」
 鹿児島出身の津島は、端正な顔立ちをした、圧倒的美青年だ。アフタヌーンティーが好きで、趣味はスコーンを焼くこと。それでいて自称は『わし』で方言も強く、そのギャップが素敵と言われている。
 対して采原は、『ブレ』と呼ばれている。しょっちゅうキャラ変をするのだ。無口なクールキャラなのかと思えば、ツンデレ面を過剰に打ち出してきて、次はヤンデレ。公式Twitterアカウントで『ほんとうのぼくをきっと誰もわかってくれない』なんて投稿をしたときには、多くのファンが何かあったんだと心配したものだが、間もなく『ぼくを待ってくれている運命のひとはいまどこにいるんだろう』『いつか出会える君も、この夕日を眺めているのかな』とポエム調の投稿を連投しだした。他のメンバーに比べると歌が上手いわけでもダンスが秀でているわけでもなく、そして目立つ容姿でもないことで試行錯誤しているのだろう、というのがファンの意見だった。
「うちの大学の女たちが、采原は承認欲求やばいから絶対面倒くさそうって言ってましたよ」
「はっは、若い子たちはそうかもね。でもねえ、あのもがきがいいのよ」
 まだ分かんないかなあ、と光莉は頭を振る。
「自分のフィールド上で、どうにかしてのし上がっていこうと試行錯誤している姿って、尊いじゃない。わたしは彼が前に出ようとしたり、必死でインパクトある言葉をひねりだそうと思案している姿を見るとグッとくるのよねえ。それにね、いまのポエム期すごくイイのよ」
 思い出して、光莉はぐっと握りこぶしを作る。最近の采原の呟きは、どれもいい。秀逸と言わざるを得ない。オタク談議になってしまうから廣瀬にはあえて言わないけれど『異世界召喚されたら魔術師の肩に乗ってるゆるふわマスコットでした』というラノベの主人公を彷彿ほうふつとさせるのだ。『いせマス』と呼ばれているこのラノベ、いまはまだ無名に近いけれど、光莉は『絶対に売れる!』と確信している。
 主人公である男子高校生があるとき異世界に召喚されるのだが、しかし何故か「キュルパ」としか鳴けないふわふわしたリスのような小動物に姿を変えていた。しかも異世界で最高ランクと称されている女魔術師に拾われて、飼われることになる。魔術師と共に異世界で生活する主人公だったが、あるとき自分に『運命の女』がいることを知る。その女に会えば、主人公は人間の姿に戻れるらしい―。実は主人公は勇者として呼ばれたはずだったとか、運命の女が魔王だとか、話はどんどん面白い方向に進んでいるのだが、光莉の一番のお気に入りが、主人公がよくポエマーになるところなのだ。そんな状況でポエムってる場合じゃないだろ! とツッコミを入れたくなるようなシーンが好きで、そのポエムの具合が采原の呟きとよく似ているのだ。采原はもしかしたら『いせマス』のファンなのではないだろうか、と思ってしまうほどに。
 これは結構的を射てるのではないか、と光莉は思っている。采原の趣味は読書となっている。公式HPに載っているプロフィールでは、太宰治の『グッド・バイ』が好きだと書いていた。『グッド・バイ』が好きならば、絶対にラノベも好きなはずだ。