アフターストーリー 「雨、ときどき、晴れ」

『君といた日の続き』刊行記念特集

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イラスト/かない
イラスト/かない

ひと夏の想い出を胸に抱えて僕は、病でこの世を去った亡き娘・美玖の墓参りに来た。脳裏によぎるのは美玖の姿か、はたまたあの子か―。『君といた日の続き』のその後の物語。

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 朝から降っていた霧雨は、いつの間にか上がっていた。
 湿った土の上には、あちこちに水たまりができている。足を突っ込まないように注意を払いながら、ゆずるはゆっくりと歩を進めた。右手には、花と真新しい雑巾ぞうきん。左手には、柄杓ひしゃくの入ったバケツ。見渡す限り似たような景色が続いているが、敷地内で迷ったことはない。引き寄せられるようにして歩いていると、気づけば目的の場所に辿りついている。
友永ともなが家之墓』──美玖みくのイメージと重ね合わせるには、大きくて角ばりすぎている墓石だった。未だにどこか現実感のなさを覚えつつも、掃除やお参りの流れはすでに身体に染みついている。
 目を閉じ、手を合わせてから、柄杓で水をかけ始めた。猫の額ほどの庭にビニールプールを出して遊んだ夏の日を思い出す。次に水の滴る墓石を、真っ白な雑巾で丁寧に拭き上げた。お風呂上りで濡れている髪に、バスタオルをかぶせてやっていた夜が脳裏に蘇る。
 バケツに残った水で雑巾を軽く洗い、買ってきた花の包み紙を解いていると、視界の端にレモン色の布地がはためいた。
 昭和めいた膝丈スカート──ではなかった。低い階段を上ってきたのは、明るい黄色のブラウスとジーンズを身に着けた女性だった。白いハットのつばの下で、彼女が目を丸くする。
「あれ、もう来てたの?」
 早めに到着したつもりだったのに、と息を弾ませて駆け寄ってきた紗友里さゆりの手には、譲が持ってきたものとよく似た花束が握られていた。あちゃあ、と彼女が苦笑する。
「譲くんも買ってきてくれてたんだ」
「あ、うん。紗友里がお線香を持ってくるって話だったから、花は俺が、と」
「ごめんね、ちゃんと言っとけばよかった。すぐそこのお花屋さん?」
「そう」
「じゃあ、まったく同じのだね。全部入るかな?」
 左右の花立てに、用意してきた花をそれぞれ挿した。想定の倍量の花が、灰色の墓石の前で、突如として色とりどりに咲き乱れる。
 ちぃ子なら、と思わず考えた。同じのを買ってきちゃうなんてもったいない、と顔をしかめるだろうか。それとも、わーい、豪華だね、と子どもらしくはしゃぐだろうか。
「いい感じ。美玖もきっと喜んでる」
 紗友里が花に彩られた墓石を眺め、満足げに微笑んだ。想像の答え合わせをしたような気分になり、勝手に可笑しくなる。──そうだよな、あの節約家のちぃ子だって、さすがにこの場面でもったいないとは言い出さないか。
 雨の名残を感じさせる、涼しい風が吹く。最近は夏らしい天気の日も少なくなってきた。お彼岸ひがんを過ぎると、本格的に秋がやってくるのだろう。
「なんで笑ってるの?」
…あ、ううん。なんでもない」
「お線香、あげよっか」
 紗友里が包みを解き、火をつけようとする間、譲は彼女の脇に屈んで風よけの役目をした。まずは紗友里、次に譲が墓石の正面に立ち、線香をあげる。
 二人横並びになり、目をつむって合掌した。まぶたの裏が作り出す心地いい暗闇は、美玖との日々をありありと蘇らせる。数えきれないほどの思い出を目で追ううちに、いつしか時間の感覚を忘れている。
 途中ではっとして、目を開けた。隣を窺うと、紗友里も手を合わせたまま顔を上げたところだった。ひどく待たせてしまったかと思ったが、ちょうどよかったようだ。
 お墓参りでやるべきことは、そう多くない。待ち合わせてから十分も経っていない気がするが、あとは各々、家に帰るだけだ。紗友里はかつてのマイホームに。譲は、あの古びたアパートに。本当は美玖の仏壇にも挨拶していきたいところだが、今日の午後は紗友里が母親の通院に付き添わなければならないらしく、日を改めて訪問することになっている。
 こういうとき、先に行動を開始するのはきまって紗友里だった。もともとせっかちな性格なのだ──いやそれとも、譲がのんびりしすぎているのか。
 だが、今日の紗友里はどこか様子が違った。時間が経っても、なかなか動き出そうとしない。墓石に彫られた仰々しい文字をじっと見つめたまま、譲のそばに寄り添うようにして、じっと佇んでいる。
 あのね、と紗友里が呟くように言った。
「この間──商店街の福引で、一等が当たったの」
 脈絡のない話題に目を瞬く。どう応えたものかと戸惑っていると、譲の動揺を察したのか、彼女がわずかに表情を緩めた。
「一等の商品、何だったと思う?」
…えーと」
「ペアチケット。ディズニーランドの」