「一万部見込める名前にする」人気ゲーム脚本家・緒乃ワサビ、商業出版実現までの≪完全戦略≫

『天才少女は重力場で踊る』刊行記念特集

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 天才×美少女×タイムパラドックス×暴走する量子=世界を揺るがす青春小説&ちょっとミステリ
 と、その筋の人にはたまらない要素天こ盛りの惹句で発売された、『天才少女は重力場で踊る』。

 著者の緒乃ワサビ氏は、Laplacianというゲーム制作会社の代表で、代表作『白昼夢の青写真は、その重層的な物語構造だけでなく、ビジュアル、サウンド、演技など、すべてにおいて狂気のごとき作り込みと完成度で、ユーザーの度肝を抜いてきた。
 ノベルゲームの世界では既に知られた存在であるが、小説家としてはこれがデビュー作となる。
 デビュー作の発売を記念して、小説からゲームまで語り尽くした著者インタビューを、3回に分けて大ボリュームでお届けする。

聞き手・新井久幸(担当編集者)

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祝! マスターアップ

天才少女は重力場で踊る

天才少女は重力場で踊る

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―校了(すべてのチェックが終わって刊行を待つだけの状態)お疲れさまでした。ゲーム業界的に言えば、マスターアップですね。

 はい、一番好きな言葉ですね!

―発売はこれからですが、まだちょっと実感がない感じですか。

 書き終えた実感はありますね。自分が思うような作品になったな、という手応えがあったおかげだと思います。最後の一文を書いたとき、自然と書くことがなくなって手が止まったのか、何かに追われるように脱稿したのかは、印象として大きく違うんです。今回は書くことがすっとなくなったので、「書き始めたときに考えていた通りに仕上がった」という安心感がまずありました。
 でも、それが読者に伝わるのか、伝わったとして、受け入れられるのか、という不安はあって、一番そわそわしている期間でもあります。ゲームも同じで、完成してから発売までが一番そわそわしています。

―事前にゲラを読んでくれた書店の方からは、好意的な反応でした。

 あれは本当に嬉しかったです。この本が2024年中に出ることは分かっていたので、気負わずにさっと読めて、次の日への活力になるような作品にしたいと思って書きました。皆さんからの感想を読んで、自分のやりたかったことを貫き通して良かったなと思いました。

―当初の想定より、ちょっと長くなっちゃいました。

 もうちょっと短くなると思っていたので、意外にページ数があったな、と。

―でも特に長いと感じる人もいないんじゃないかと思います。

 時間を忘れて一気読みした、という感想は嬉しかったです。

すべてはエゴサから始まった

緒乃ワサビ氏
緒乃ワサビ氏

―今回、小説家としてはデビュー作となるわけですが、そもそもどういうきっかけでこの本が出ることになったのでしょうか。

 普段は、Laplacianという会社で、ビジュアルノベルと呼ばれるゲームを作っています。物語を読むだけの、システムとしてはシンプルなゲームで、『白昼夢の青写真』という作品が最新作です。自分たちの代表作であり集大成ですから、ユーザーさんの反応は気になって、よくエゴサをしていました。
 そこで、担当編集のAさんがSNSに『白昼夢』の感想を投稿してくれているのを発見して、リプライしたのが最初のきっかけですね。小説家になりたいとはずっと思っていて、去年も新人賞に応募しようとしていたくらいなので、「この機を逃す手はない」と。
 初めて会ったときに、「本を書きたいので担当になって下さい」と言った覚えがあります。

―あれは、面食らいました。ゲーム好きなので、そっち方面の方にお会いする機会もあったのですが、みなさん、ゲームのシナリオで忙しいし、気持ちはあっても、なかなか具体的な仕事までいくことはなくて。

 肉食系のマッチングアプリユーザーみたいな、逃がすもんかって気持ちでした。ゲームを作る仕事にもチーム制作の楽しさがありますが、活字だけで表現する小説って、やっぱり一番テキスト素材の純度が高いので憧れがありました。
 そもそも、商業出版させてもらうための戦略を自分の中で組み立ててから、このLaplacianというメーカーでシナリオを書き始めたというところもあるんですよ。

―それは、どんな戦略だったんですか?

 物凄くざっくり言うと、書き手としての自分が、出版社から「一万部は見込める名前」として認識されれば、どこでも書かせてもらえるんじゃないか、って。

―めちゃくちゃ具体的ですね。そして、現状をよく分かってらっしゃる。

 ライトノベルの初版部数とかは聞いていたので、そこからなんとなくイメージして。ビジュアルノベルというジャンルを選んだのも、今のエンタメ業界では単価が高い媒体で、誰が作っているかをユーザーさんが凄く意識しているだろうと思ったからです。実際、ライター買いの文化が、ユーザーさんに根強く残っている。名前を覚えて貰うならここしかないだろう、と目論んでシナリオを書き始めました。
 実際、最初に掲げた一万部という目標の数字を、今のLaplacianは持っていると思うし、外からもそう見て貰えているとは思うのですが、でもそれが作品単体のファンではなく、Laplacianというブランドに付いてくれているファンなのか、というのがまずあって。さらに、Laplacianのファンだとしても、緒乃ワサビの作る他の作品にも興味を持ってくれるか、という二段階のハードルがあるんですよ。そこは心配ではあったのですが、発売告知や試し読みに対するユーザーさんの反応は期待以上でした。あんなに好意的に受け止めてくれるとは、思ってなかったんで。

シナリオと小説は別競技

「白昼夢」通常版と「天重」カバーラフ。インタビュー時は刊行前のためカバーにまだ文字は入っていない。
「白昼夢」通常版と「天重」カバーラフ。インタビュー時は刊行前のためカバーにまだ文字は入っていない。

―作品の中身についての、最初の具体的な打ち合わせは、去年の秋くらいでしたね。

 11月1日でした。そこで、11月10日までには冒頭の一万字くらいあげます、って約束したんですよ。ところが偶然にも10日は、うちのスタッフの引っ越しの日で。手伝いに行ったはずなのに、引っ越しの音を聞きながら、空いてる部屋で原稿を書いていたのをよく覚えています。

―事務所で、みんなでわいわい打ち合わせしたのが新鮮で楽しかったですね。大抵は、作家と担当がサシでやるので。

 喋って頭が回るタイプなんだと思うんですよ。一人で悶々と考えているよりは、誰かと喋ってるうちに、使えるアイデアに辿りつくというか。
 開発メンバーを会議に集められたのも、小説の制作を会社で受託した案件として扱っていたからです。「この時期は執筆で開発現場を離れる」ということはみんなに伝えてありました。小説は個人戦になるんだろうと思っていたんですが、ゲーム開発で培ってきた方法を持ち込めたのは良かったです。これは書き手と経営者の二足のわらじをはいているからこそできる作り方なんでしょうね。

―ゲームの新作を待っている皆さんには、「この本のせいで開発が遅れたわけではなくて、織り込み済みだったんですよ」というのは、声を大にして言っておきたいところであります!

 はい、ちゃんとチームの制作スケジュールには組み込んでいました。

―プロトタイプの遣り取りを経て、本格的に書き始めたのは年が明けてくらいだったと思いますが、実際に書き始めてみて、どうでしたか?

 シナリオライターと小説家って、似た職業と思われているかもしれないですし、自分もどこかそう思っていたところがあるんですが、完全に別競技でした。卓球とテニスくらい違いますね。ルールも違うし、得点の入り方も一点の重みも違う。フィールドの広さに合わせた身体の動かし方が別モノなんだ、と感じました。

―具体的に、一番違うのって、どこでしたか?

 尺、物語の長さの制約、がまずありましたね。ビジュアルノベルって、単価が高いですから、「買った以上は簡単には投げ出さないだろう」「長ければ長いほど喜んでくれるだろう」という信頼感みたいなものが、ユーザーさんに対してあるんですよ。導入が少し退屈でも、長大な物語のために必要な助走だと受け止めてもらえる。でも、小説ではそんなに悠長なことはしていられない。物語に引き込むまで最短ルートで駆け抜けるようにと意識しました。
 今作の中盤では、ヒロインと主人公をしっかり好きになってもらうために、結構分量を使いましたが、でもゲームに比べればずっと短いです。ゲームだと、キャラクターに親近感を持ってもらうための、起伏の少ない日常シーンがもっとあると思います。
 自分は、ビジュアルノベルの側では、悪く言えば、お話をせかせか進めるタイプの書き手だったので、それが小説には向いてるんじゃないかと思ってたんですが、想像以上に、筋肉質にお話を作らなきゃいけないんだな、と感じました。

―打ち合わせのとき、よく「これだと、読者のヘイトを買うんじゃないか」と気にされていましたが、その「読者のヘイト」という表現が印象的でした。

 今回の三澄みすみのように、気の強いキャラクター、不機嫌なキャラクターを書くときは、どこまでが面白い領域で、どこからが不快な領域なのか、その境界線は意識しています。そこを超えてしまうことを、会議の場ではヘイトを買う、と表現していますね。
 エンターテインメントの基本姿勢は「おもてなし」ですから、自分の作品を読んでくれる層の怒りの沸点がどの辺なのか、完全に把握はできなくとも無視はしないようにしています。

―具体的に苦労したことを挙げるとしたら、どういったことですか。

 どの作品にも共通しますが、キャラクターが動き始めるまでは、やっぱり大変です。世界観を立ち上げるのには苦労しますね。だから、最初の一万字をこの日に送るっていう約束で自分を追い詰める必要がある(笑)。
 あとは、描写のバランス調整ですね。ゲームには声優さんの声があって、音楽もあって、ビジュアルもある。小説はそれらが全部ない。そういう描写をどこまで活字で表現して、どこからを読み手の想像に委ねるのか。そのバランス調整には悩みました。
 書きながら常に浮かんで来る、「これは本当に面白いのか、正しい道を進んでいるのか」という迷いは、考えるだけ無駄だと分かっていても、拭いきれないものでした。だから、原稿を送る度に「ちゃんと面白いですよ」と返してくれる編集者という存在には助けられましたね。ゲーム開発のときは、うちはみんな制作側になっちゃうので。

Laplacianイズムの本作り

章扉の秘密:ヒントは左の切れ込み。
章扉の秘密:ヒントは左の切れ込み。

―ゲーム開発ということで言えば、この本はイラストもデザインもLaplacianなんですよね。

 そうですね、表紙はぺれっとで、装幀デザインは上都うえとですから、Laplacianをご存知の方には、お馴染みの座組ですね。

―今回は、カバーイラスト一点のみで、口絵や挿絵がなく、ビジュアルイメージは一つしかないわけですけれども、それで意識したことはありますか?

 自分がハンドリングするのは顔面の可愛さ、顔の攻撃力ですね。店頭やWebでぱっと見たときに、「可愛いな」と思ってもらうのってすごく大事だし、イラストレーターは作業中にどうしても見慣れてしまうので。逆に、視線誘導効果を狙ったレイアウトだったり、逆光的なライティングだったりという専門的なところは、表紙担当のぺれっとの中に明確なイメージができていて、自分は「いいね、最高!」と喜んでいただけです。
 自分が小説を書きながら迷ってしまうみたいに、絵描きも描きながら迷ってしまうことがあります。その時に、絵を描けない自分の違和感をどう言語化して伝えるか。その印象の鮮度の高さはディレクションのときに大切にしています。絵を描かない人間の代表として、作業中の絵を見慣れてしまわないようにと。
 そうやって攻撃力の高い女の子を組み上げてから、あとは内容が現代劇で、魅力的で頭のいい、でもずぼらな女の子が出て来るんだよ、と一枚絵としての情報密度を上げていく。作品の看板になるイラストを作るときはこのプロセスで作っていくことがほとんどですね。

―章扉にも、実はちょっとした遊びというか、仕掛けがあるんですよね。ノーヒントで気付く人がどれだけいるか分からないですが。

 理系の人は気付くんじゃないでしょうか。Laplacianのゲームでは、そういうちょっとした小ネタを、隙あらば挟もうとしてるんで、書籍でもそういうLaplacianイズムみたいなのを徹底できたのは有難かったですね。商品としてしっかり作らせてもらった、というか。
 普段本を読まない人にも読んでもらいたいというのはあって、本を閉じている状態でも章の区切りを可視化する、というのが、装幀の上都と話して最初に決めたことでした。どのくらいで区切りが来るのか目に見えるのは、書籍のユーザビリティとして大事ですから。デザインに関しても、そういう制約条件と仕込みたい小ネタだけは指定しますが、イケてるデザインとして成立させる具体的な作業は上都にお任せです。この辺はゲーム開発会社ならではの進め方かもしれないですね。

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