勝負ができる俳優に僕はなりたい

「よく見て、よく学び、よく遊べ」と、師匠である吉右衛門のおじさんはあらゆることは自分の糧になると仰っていました。
 見識や知識を広げるためにはもちろん、映画鑑賞や読書は大切ですが、それらがインプットの全てではないと僕は捉えています。
 たとえば息子たちのちょっとした行動に僕がすごく怒ってしまったとして、なぜあの時あんなに怒ったのか振り返ると、僕の精神状態が悪かった、嫌なことが続いていたなど気づきがあります。人間関係における発見であり、インプットですよね。子供の言葉をはじめ、どんな些細なこともお芝居に繋がるので、生きていくことに無駄はありません。勉強することも大切ですが、人としての感情の積み重ねが一番演技に反映できるはずなので、日頃から敏感に感じ取るようにしています。
 普段からどういう風に生活して、何を見て、どう感じるかが大事なんだと、おじさんはおっしゃっていました。
 僕は、言語化することが上手ではないんです。表現することが仕事の役者にとって、理論的に考えて言語にまとめることは大事だとすごく感じます。感情を全部吐き出すことは簡単ですが、その部分はおじさんにずっと指摘されていました。「お前は感情的になりすぎている」と。
「気持ちが第一であることは俳優にとって大事だ。ただ、こと歌舞伎なら、技術や台詞廻しや型が重要で、感情だけで我を忘れるようなことをしてはいけない。感情から動いても、感情だけではないんだよ」と。なので、歌舞伎においては感情に走りすぎないように気を付けています。
 けれども、歌舞伎や演劇は予定調和になりがちでもあります。本番に向けて長い時間お稽古しているので、自分と相手の動きも、結末へのアプローチも頭の中に入っているし、本番は1回ではありません。毎日本番で、日が経つにつれて良い意味でも悪い意味でも空気感は変わっていきます。初日のような緊張感をずっと保てたらいいですよね。
 一方、映像作品は台本を読んで自分なりに作りこんでも、現場で初めて収録する場面のテストがあり、そこで僕の演技を提示して、ようやくそれがOKかどうかジャッジされます。「下町ロケット」に出演した時、この現場に対応するには、瞬発力が必要だと感じました。
 映像をはじめ普通の演劇と違って、歌舞伎には型があります。年輪のように日々お稽古を積み重ねて、自分の芸を大きな幹に育てなければなりません。新作を扱う歌舞伎もありますが、基本的には古典歌舞伎から型を引用しています。歌舞伎である限り、その引き出しから探してくるしかないので、新作は、作品が新しいだけで、現代的な衣裳を纏うことはあっても、新しいお芝居をしなきゃ、ということではないと思います。だからこそ、日々の鍛錬が必要で、おじさんの仰るように感情が走りすぎてはいけないと思っています。