両人差し指で、まなじりをぐいっと下におろした。すると汐里が声をあげて笑う。
「こうすれば、笑ってみえる?」
汐里も豊の真似をして顔を崩す。キャッキャッと吹き出しをつけたいほどの笑い声に豊は心満たされる。
「静かにしなさい!」
里美の叱咤に、豊と汐里は目を合わせた、そして二人して小声で「はーい」と返事した。
この子は特別な子だ──。
里美のように感情を抑えないでほしい。瑞枝のような何を考えているかわからない女になってほしくない。
俺は本当に、ひどい奴だな──。
浮気相手の子どもの前で、浮気相手と妻と同等に並べてどっちも否定している。もしこの心の声が誰かに聞かれたら、ひとでなしだと言われるだろう。
でも幸いなことに心は見えないし、その声は聞こえない。瑞枝も里美も、恵比須顔の俺を信じているのだ。
夕食後、里美がテーブルの食器を片付けると、汐里はいそいそと色とりどりの紙を並べ始めた。
「懐かしいな、折り紙」
「しんじょさん、おれる?」
「どうかな、やってみるよ。じゃ、これにしよう」
金色の折り紙を選んで取り出し、端と端を合わせて折る。汐里も紫色の紙を引っ張り出して手を動かし始めた。
折りながら、ちらっと腕時計を確認する。もうそろそろ帰らなければならない。
「ママはお風呂」
汐里が言う。本当にこの子は鋭い。
このところ、豊が家に来ている時に、里美は入浴する。付き合い始めたころ、遠慮がちだったあの時と里美は変わった。
アパートに来た豊と汐里を残して風呂に入ってしまうのは、それだけ心を開いてくれたからなのか、豊に何も期待していないからなのか。
ともかく、汐里のことを安心して、任せてはくれている。俺を信じていなければ、こんなことはしないだろう──気づけば、いくつも小さな折り鶴ができていた。
「しーちゃんは、上手に折るね」
熱心に手を動かしながら、汐里はつぶやく。
「たくさんおると、願いがかなうんだって」
「千羽鶴か……」
もう一度時計を確認する。そろそろタイムリミット。
「じゃ、そろそろしんじょさんは帰ろうかな」
よっこらしょ、と声に出して床から立ち上がる。ソファがないこの部屋はクッションを座布団代わりにしたり、腰に当てたりしているが、長時間座っていると腰が痛む。
二人掛けのソファを買ってもいいな、と考えていたら、汐里が豊の袖を引っ張った。
「しんじょさん……しーちゃんのパパになって」
※この続きは、新潮社より発売中の『愛するということは』でお楽しみください。
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