翌週、夏生が『ボヴァリー夫人(上)』の感想をメールしたその日に、高遠先生から電話がかかってきた。知らない番号に警戒しながら電話に出た夏生は、「高遠です、突然電話してすみません。メールありがとうございました。ご感想、本当に素晴らしくて思わず電話しちゃいました」という声に、文字通り飛び起きた。先生は文面より電話を好むらしく、以降、折々で電話がかかってくるようになった。
 授業開始までの1週間で夏生のGoogleの検索履歴は文学系学術用語でいっぱいになった。物語論ナラトロジィ構成プロット物語言表レシ遠近法的パースペクティブ消失点、概念的コンセプチュアル力量、非人間的概略性ジェネラリティ超越的トランスセンデンス作用、語り手ナレーター…。検索して新しい用語を覚えるたびに、新鮮なよろこびがあった。彼に近づけるようで、祖父にまた会えるようで。
 電話を終えて、メモしておいた用語を調べるついでに、ふと思い立って先生の名前を検索窓に打ちこんでみた。
 高遠真輔(筆名)。本名非公表。年齢非公表。東京都生まれ。W大学第一文学部卒業。同大学院文学研究科フランス語フランス文学コース修士課程、同博士課程修了。著書に『仏文学新批評』『空所の論理―内包された読者の外側を探って』、小説『水随方円』で太宰賞最終候補。訳書にアンドリュー・サン『地下道、地底人、その奥の人々』。
 先生のことはぜんぶ、Wikipediaで知った。夏生は気づいたら、調べようと思っていた用語なんて放りだして、先生の情報をネットの海で必死に探していた。ネットに落ちている先生の顔写真はZoomの画面上で向きあったときの何倍も若く見えた。夏生は彼の論文をCiNiiで片っ端から読んで、著書を図書館で取り寄せ、5年前から更新が止まっている彼のmixiも遡ってすべて読んだ。
 大学教授だから当然なのだけど、先生は高学歴で物知りで仏文学を語り合えて、そのうえ東京弁を話す人だった。夏生は先生から電話がかかってくるたび、ちょっとどきどきしたし、「物語言表レシ時間性テンポラリティを論じるときに『蜜柑は次第に記憶喪失していった。未来の話だ』と書き出すなんて、夏生さんには詩情的な才能があるんですね」と言われたらキュンとした。恋ではない。これまでの人生で交わったこともない、東京のクールな大人と話すのが、刺激的だったのだ。
 アベノマスクにカビが生えていた! というツイートを紹介するテレビのニュース番組を転載したyoutube動画のコメントのスクショに「カビは同心円状に生えます。デマです」というコメントをつけた投稿をTwitterで見かけた朝、1か月遅れで授業がはじまった。
 授業は全面オンラインで、教養科目も学科専門科目もZoomで行われた。1年生だから授業は毎日1限からあって、朝から晩までパソコンの前でZoomに映ったクラスメイトたちと授業を受けつづける日々だ。授業時間終了とともにZoomのルームが閉じられるため、休み時間のおしゃべりもなく、友達なんてできるわけがない。
 かけていたアラームが授業3分前を知らせる。寝癖のついた髪をゴムで縛って、パソコンを開いた。カーテンの閉じられたままの部屋は薄暗い。時間割を確認すると高遠先生の授業だったから、あわてて蛍光灯をつけ、目の下の隈だけをコンシーラーで隠してZoomに入った。
 高遠先生の授業は履修面談期間中につくられた文学部新入生LINEグループで『高遠セラピー』と呼ばれていて、癒し授業枠だった。彼が担当しているのは「共通科目(仏文学Ⅰ)」。毎授業1作、フランス文学の代表的な作家を取り上げながらその歴史背景を説明していく授業だ。オンライン授業でありがちな学生側のカメラオン強制授業ではなくて、「もしカメラオンでもいいよっていう方がいらっしゃったら、オンでお願いしますね」というスタンスだったけれど、夏生はいつもカメラをつけて参加していた。
「ヒッチコック的に言うと、物語ストーリーがひとりでに語られるものとして言表エノンセ物語イストワールに立ち現れることにより、実在性が増しているのです。文章テクストにおける真実味が反転して虚構的フィクショナル物語イストワールの価値を高め、再起している構造は魯迅ろじんの『狂人日記』に類縁アフィニティを持っているものだとおおよその研究では分析されています」
 レジュメを画面に映しながら説明する先生の声を聞きながら、カメラに見えない位置でスマホを操作する。Instagramを開く。「#春からK大」と呟いている人を片っ端からフォローしている大学用のアカウントだったが、DMで交流が生まれることもなく、ただ人の投稿を流し見していた。ニュースではあれだけ自粛要請による飲食店の経営危機が騒がれているのに、ストーリーには毎日のようにパンケーキの写真があがって、タピオカの動画が3日に1回くらい流れてくる。同じ大学の会ったこともない同級生たちは、自撮りではマスクを外している。SNSにだけは、コロナなんて関係ない、夏生がイメージしていた「東京の大学生活」があった。
 1時間前に原宿のパンケーキの写真をストーリーにあげていた柚愛ゆあという名前の子が、またインスタを更新している。見ると、「tkto先生すきすぎ🥰🥰🥰」という文字とともに授業のZoomのスクショをあげていた。ほかの生徒の顔や名前はスタンプで隠されているが、高遠先生の顔はもろに出ている。ネットリテラシーガバガバかよ。ドン引きする夏生とは裏腹に、同じ授業を受けているであろう数名から「わかりみが深い、tktoセラピーまじセラピー🙃🙃」「純粋に顔がいい、推し。ファンクラブ設立まだ???」と連続でコメントがついていた。アイドルみたいだ。
 インスタを徘徊しているうちに授業が終わる。間髪入れずに先生から電話がかかってきた。夏生は驚いて電話をとった。授業をまともに聞いていなかったことがバレたんだろうか、とヒヤヒヤする。が、高遠先生はいつもの調子で「今日、魯迅の『狂人日記』の話をしたでしょう。これは周囲の人間が自分を殺して食べようとしていると妄想する狂人の日記なんですが、興味深いのは、冒頭で狂人はもうスッカリ全快したと書かれていることなんです。全快したひとには、狂人日記は書けないわけですね。日記はいいですよ。客観的になれる。狂いそうなときは日記をつけるといい、と言われています」と一方的にしゃべった。授業の補足を自分にだけ電話で話してくれるということに、思わずにやける。インスタで外野からしかつながれない彼女たちとはちがうんだという、にやけだった。先生は急に声色を変えて「もしくは、人と話すといい。ぼくだったらいつでも話を聞きますから。って、夏生さんのほうがご迷惑ですよね」とから笑いした。
 夏生は大きく首を横に振った。横に振ってから、先生にはこちらの顔が見えていないことを思い出し「そんなことないです」と言った。もう一度、さきほどより大きな声で「そんなことないです」と言って、彼の言葉に甘えに甘え、先生の電話を待つだけじゃなく、夏生からも3日に1回電話するようになった。