「初めまして」「読みましたよ、『D坂の殺人事件』」「いい探偵を生み出しましたね」「羨ましいなあ、君の才能が羨ましい」「次はどんな作品を書くんです?」
「新青年」で名前を見たことのある寄稿者たちがこぞって質問をしてくる。初めこそたじろいだ太郎だが、時間が経つにつれ、少し酒が入ってきたこともあって慣れてきた。海外の小説について、やれあれが面白い、あれがひどかったと好き好きに批評するのもよかったし、どんなトリックが好きだ、機械的トリックはもう考えつくされたかなど議論するのも楽しかった。さらには、どうやって登場人物の名前を決めるのか、夜に書くのと昼に書くのとどちらがはかどるか、原稿料の使い道はどうだ、気に入っている文房具は何か…作家ならではの話はつきなかった。
 江戸川さん、江戸川さん。皆は太郎のことをそう呼んだ。そう呼ばれるたびに太郎は自分が「江戸川乱歩」という冗談のような名前の存在になっていく実感に染まっていった。彼らにとっては出会ったときから平井太郎などという名を通り越して「江戸川乱歩」であり、これからきっとそういう人が増えていくのだ。作家になるとはそういうことなのだ―。
「ああ、本当に楽しい会でした」
 店を出て、ホテルまで送ると言ってくれた森下に、ほろ酔いの太郎は言った。
「作家同士のつながりって大事ですねえ」
「そうだな。皆、定期的に集まって今のような話をしているらしい」
「そうなんですね。いいなあ東京は。京阪神にもそういう仲間がいたらなあ」
「おや」森下は太郎のほうを見た。「そうか、知らないのか。うちの雑誌に寄稿している作家の中には、関西に住む人も多いよ」
「そうなんですか。ぜひ関西でも、同好の士を集めて会を作りたいです」
「そういうことならまず、面倒見のいい西田政治まさじ君に声をかけるのがいいだろう」
 しかし、と、厳しい顔になる森下であった。
「六か月連続掲載の原稿を、すべて終わらせるのが先だ」
 数日後、大阪に帰った太郎はさっそく原稿に取り掛かり、三月までに連続掲載分の原稿をすべて上げた。
 森下から聞いた西田政治の神戸の住所に「京阪神の探偵小説を愛好する者で会合を開きたいと思います。つきましては一度お会いしたいのですが」と手紙を送ると、「私のほうでも探偵小説に造詣の深い者を一人紹介したく思います。ぜひ、うちへいらしてください」と返事があった。
 実はすでに一月の時点で、最後に勤めていた新聞社の星野には「探偵小説を好む知り合いを集めてほしい」と依頼してあった。太郎が専業作家になることを心底応援してくれている彼は二つ返事で了承していた。
 京阪神における探偵小説同好の士の集まりは、もう発足目前だ。かつて浅草で田谷たや力三りきぞうの後援会を作ったときと同じ興奮が、太郎の中にこみあげてきていた。
 いよいよ約束の日となり、太郎は神戸へ向かった。
 手紙に記載されていた住所は、高級そうな家屋が並ぶ住宅街だった。「西田」と書かれた表札を発見し、戸口をたたく。
「ごめんください」
 ややあって引き戸が開き、背が高く髪の豊かな、和装の男性が現れた。
「平井…あ、いや、江戸川乱歩です」
「西田です。どうぞ」
 言われたとおりに上がる。
「お伝えしていたとおり、今日はもう一人呼んでいるのですがいいですか」
「はい。仲間は多いほうがいいですから」
「それはよかった。こちらです」
 やけに広い、不自然な空間だった。もとは和室の二間だったところを、ふすまを取り払い、畳をのけて板材を敷き、無理やり洋間にしたようだった。えんじ色のソファーがいくつかあり、奥の壁際の一人掛けのソファーに、男が座っていた。西田と同じく和装だが、だいぶ若い。そして、その顔の中心にある大きな鼻を見た瞬間、太郎は思わず、
「あっ」
 と指さしていた。
「やっぱりや。西田さん、僕は勘が鋭い、言いましたやろ」
 彼のほうはニヤニヤと太郎のほうを見ている。
「というと、やはり馬場先生の講演で君が会った人か?」
「そうです」
 と西田に答えながらすっと立ち上がる。呆然としている太郎のもとに近づいてくると彼は、握手を求めるように手を差し出した。
「あなたが江戸川乱歩はんやったんですね」
「君は…?」
横溝よこみぞ正史まさし、いいます。今はよう書かんねんけど、前は『新青年』にいくつか載せてもらいましたわ」
 太郎の手を取り、両手で握ると、彼は半分閉じたような目をやわらげ、どこか余裕を感じさせる笑みを浮かべた。
「やっと自己紹介できましたわ。以後、よろしゅう」
「こちらこそ」
 それは、探偵小説作家にしかなれなかった才能と、探偵小説を書くために生まれてきた才能との、二度目の邂逅かいこうであった。

(つづく)
※次回の更新は、2月2日(金)の予定です。