第六話 ヨーロッパへ【4】
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前回のあらすじ
モスクワへの赴任を正式に命じられた千畝。ところがなぜか千畝のビザが下りない。その理由は、前代未聞のものだった。
![画 鳩山郁子](https://www.bookbang.jp/yomyom/wp-content/uploads/sites/46/2024/06/ranpo_sashie_6-750x536.jpg)
四、
幸子と夫の前に、ぼん、とウィスキーの瓶が置かれる。
「今日はこれを空けるまで寝かさないからな」
酒匂公使がニッと笑う。幸子は千畝と顔を見合わせ、また今夜もですかと苦笑する。
「幸い、肴は夕食の残りがふんだんにあるし、和食がいやならこれもある」
公使みずからフォークを取り、サーモンの塩漬けを皿の上にあける。千畝は幸子の横でウィスキーの栓を開ける。幸子は立ち上がって棚からグラスを持ち出す。もうすっかりおなじみの光景だった。
「公使。妻は明日、ダンスのレッスンがありますので、今日は一時間ばかりで失礼させていただけますと」
夫が気を回してくれるが、
「あら、いいのよ」
幸子は言った。
「ウィスキーは残らないもの」
「はは、たのもしいじゃないか。ダンスは週に三回、習っているんだったね。上達したかい?」
「ステップがどうも。私は着物を着ますから」
はい、わかりました――八月に夫に言われたとき、あっさりそう答えたものの、やはりヘルシンキは遠かった。横浜から船に乗り、アメリカを経由してドイツに上陸、国際列車でヘルシンキに着いたのは九月のことだった。
ヘルシンキは森と湖に囲まれた美しい町である。チーズのような色合いの壁の可愛らしい建物が立ち並び、あちこちに緑豊かな公園がある。人々はみな、日本人より一回りは背が高くても威圧的なところはなく、せかせかせわしなく歩き回っているような人は誰もいなかった。
外交官夫人としての最も重要な役目は、社交界に出て他の国の大使や公使の夫人たちと仲良くすることです。――日本を発つ前、夫の上司にそう言われていた。
だから、今日からフランス語を勉強してください。ヨーロッパの社交界ではフランス語が日常会話に使われますから。
だが夫の千畝は「フランス語よりドイツ語のほうを重視したほうがいい」と言った。そっちのほうが幸子の性格に合っているから――という理由はピンとこなかったけれど、言われた通りにアメリカ行きの船の中でドイツ語の勉強をはじめていた。弘樹の世話のために同行することになった妹の節子もまた、勉強につきあってくれた。
外国語の習得とはなんと大変なのだろうか。これで十分と思っても、実際に船中で知り合ったドイツ人と話してみるとまったく通じなかった。横でやすやすと夫が会話をしているのを見て恨めしくすら思った。
語学の勉強はヘルシンキに来てからも続いた。ドイツ語はなんとか日常会話くらいならできるようになっていたが、フランス語は難しかった。日本語にない発音が多いし、数の数え方も独特すぎる。
しかしその、フランス語よりも大変なのは、ダンスだ。ヨーロッパの社交界ではダンスができないと話にならない。殿方に誘われたときに拒否するのは失礼にあたり、最悪の場合国際問題に発展しないとも言い切れない――とあらゆる人に脅された。
「やっぱり、ドレスを着たらどうです?」
ダンスを教えてくれるフィンランド人の女性にそう言われたが、幸子はかたくなに首を横に振った。
幸子は着物が好きだ。日本人の正装はやはり着物だと思う。それに、婦人の数多いるパーティーで、着物を着ていると目立って、日本人がここにいるのだとアピールできる。それで着物でも不自由なくダンスのステップを踏めるよう、日々鍛錬しているのだった。
「はっはは、やはり面白い奥さんだね」
日本酒の入ったグラスを傾けつつ、酒匂公使は笑った。
幸子たちのヘルシンキでの生活の不安を一掃してくれたのは、この酒好きで寂しがり屋の公使だった。赴任した初日に挨拶に行くと、「君たち、私と一緒に公邸に住みなさい」と言い放ったのだった。
家族をおいてヘルシンキに来ているため、職務を終えて公邸へ戻ると、一人になってしまうのだそうだ。家族を大事にするフィンランド人職員は誰も夜まで公使と食事をしてくれず、住み込みのお手伝いは一杯程度しか付き合ってくれない。だから日本から新たにやってくる職員は家族まるごと公邸に住まわせると決めていたというのだ。
公使は日本から定期的に日本酒を運ばせており、厨房には日本人の料理人もいる。フィンランド人を招く時以外は、焼き魚、煮つけ、豆腐、漬物と和食が出るし、ほかほかした米飯は日本で食べていたものよりむしろ美味しかった。食事が終わるといつも酒匂公使は幸子たちを晩酌に誘う。そして二人にウィスキーを一本空けるように言い、自分は専ら日本酒を飲むのだった。