第五回 ③

ムーンリバー

更新

前回のあらすじ

阿賀野鈴、40歳、出版社文芸編集部勤務の編集者。夫を亡くした後も婚家で暮らしている妹の蘭が息子の優と実家に戻ってくることになった。バツイチ出戻りの私に父は、「ひどい離婚にも子供がいるということにも、この先のお前の人生、何ものにも縛られることはない」と気遣ってくれている。うん。私の人生は私のものだけど、娘のやよいがいる限り、そう思い切ることも、とても難しい。

イラスト 寺田マユミ
イラスト 寺田マユミ

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 自分の親と一緒に仕事をするのは、気恥ずかしいというか難しいというか、くすぐったいというか。もちろん仕事をする上では対等な立場ではあるんだけれども、私が編集者である以上はクライアントで、父・阿賀野達郎あがのたつろうが発注先という関係になってしまう。
 いちばん最初に仕事をしたのは十年ぐらい前。
 作家さんたっての希望だったので仕方なかったのだけれども、どうにもこうにもやり難くてすっかり懲りてしまった。以来、自分の担当本に関しては、なるべく父・阿賀野達郎に装幀をお願いすることにはならないようにしてきたけれど、どうしてもそうなってしまうこともある。
 やはり阿賀野達郎は、素晴らしい装幀デザイナーなんだ。特に豪奢な、華やかな、あるいは外連味たっぷりの装幀デザインがこの小説には必要なんだとイメージしたなら、装幀家阿賀野達郎が最初に頭に浮かんでしまうことは、何度もある。
 今回で、人生のうちで四回目の依頼。私が担当してきた連載小説を単行本化する際の装幀デザインを、〈デザインAGANO〉が、そして阿賀野達郎がする。
 作業の流れ自体はお互いに手慣れたもの。
 原稿を読んでもらって話し合い装画を描いてもらうイラストレーターさんの候補を出して、作家さんとも話し合い決定する。今回はたまたまだけれどイラストレーターさんは、父も私もお互いに旧知の方に決まった。
 イラストレーターさんに原稿を読んでもらい、こちらからの大まかなイメージも伝え、イラストラフを上げてもらう。上がったラフについて話し合い、装画を描いてもらう。装画が上がってきたら、今度はそれを組み入れた装幀のラフデザインを出してもらって、作家さんにも編集長にも確認して、ゴーサインが出たらそのまま仕上げてもらう。
 もちろんなかなかその流れ通りには進まないことも、いろいろ変則的なこともあったりするけれど、今回はスムーズに行った。
 でも、いまだに編集者として父・阿賀野達郎と話すときの口調に迷う。いつもの口調で話すと、何となく目上の方に対して横柄な口を聞く小娘のように自分で聞こえてしまうんだ。かといって、丁寧な話し方をしてしまうのも決まりが悪い。妥協策として、娘が父親に丁寧にお願いをするときのような感じでやっている。
 お父さんに装幀を依頼しても、自分の家である〈デザインAGANO〉に勤務時間中に来ることは最初の打ち合わせ以外ではあまりない。私と装幀家阿賀野達郎の関係を知っている人はもちろんたくさんいるので、公私混同やそんなバカなことは絶対にないけれども、コネで仕事をしているさせているように思われても困るから。
 今日は、色校。印刷所で本番同様に刷った本のカバーの色味をチェックする作業。
 普段は一緒に見ることはまずないのだけれど、ちょっとスケジュールがタイトになってしまったため時間節約で私も昼間に家に戻ってきて打ち合わせの体で色校のチェックを同時にやった。
 お母さんは、撮影で外に出ていた。お父さんとはなちゃんはそのまま別の印刷所へ別件で仕事があったので出かけていった。ありがとうございました、と手を振って、ワークスペースで仕事をしていたりくと二人きりになる。