第三回 失敗

デンタタ

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前回のあらすじ

片思い中の女性を窮地から救うことができた僕。次は彼女の願いをかなえるために「おまじない」に挑むが―。「小説新潮」2024年8月号掲載「噛み砕くもの」と対を成す恐怖譚。

Photo/Tatsuro Hirose
Photo/Tatsuro Hirose

「ああ、二人で来たのぉ」
 麗美は僕と倉本さんを見て、笑顔で言った。
「うん、あの、ありがとう、僕の願いは叶ったから、もういいんだ…倉本さんのお願いを…」
「んー。分かったぁ。良かったねぇおまわりさん。じゃあ早速行こう」
 僕の言葉を途中で遮って麗美はエレベーターに向かった。
「なんか、強引だよね」
 倉本さんに小声でささやいても、返事はない。聞こえなかったのかと思ったが、エレベーターに乗っている間中、倉本さんは一言もしゃべらない。そう言えば、ショッピングモールの入り口で待ち合わせをしたときからそうだった。口を真一文字に結んで、反応するとしても小さく頷くくらいだ。
 覚悟、と言っていた。倉本さんの真剣さを揶揄する気はないが、やはり少し疑問には思う。あくまで、子供の遊びなのに。
 屋上に着くと、麗美はくるりと振り返って僕たちを見た。
「仲良しだねぇ」
「そんなことより、早くやって」
 倉本さんは短く言った。心が冷えるような声色だ。思わず彼女の顔を見つめる。恐ろしい顔だ。怒っているのとは違う。ただただ、張りつめている。こんな顔ができる人だったのか。
「んー。分かったぁ。お姉さん、きちんと持ってきた?」
「持ってきた! 子供の頃の乳歯と、足りない分は、自分の!」
 思わず倉本さんの口に視線を向ける。口の端から唾を飛ばしながら叫んでいる。よく見ると、歯茎に太い金属線がかかっている。僕は同じものを知っている。祖父の部分入れ歯だ。
 信じられない。確かに歯が必要だとは言っていた。しかし、倉本さんは、本当に、自分で自分の歯を——。
「ねーぇ」
 ねっとりと絡みつくような声で麗美が言った。
「子供の歯の本数、知ってる?」
「し、知ってるわよ。二十本でしょ、だから、二十本、歯を」
「んー。足りないんだよねぇ」
 倉本さんは目を見開き、唇を震わせた。そして低い声で、
「なにが、足りないの。ちゃんと数えて。二十本、確かにある」
「計算できないんだねぇ、お姉さん」
 麗美は人差し指を立てた。
「子供の歯は二十本。だからぁ、同じように子供が目的なんだから、歯は二十本必要。フェアトレードってやつだよね」
「あんた、何? 何なの? いいから、いい加減」
「だからぁ、子供の歯は、材料なんだよぉ。材料だけ渡して洋服作ってくれる人いるかなぁ? お金が必要でしょ」
「一体、何が言いたいの…」
「もう一本必要なのぉ。願いを叶えてもらうためにねぇ」
 どさりと音がした。倉本さんが屋上の床に膝をつき、大声で何かを叫ぶ。何を言っているのか聞き取れない。
「く、倉本さん?」
 僕が肩に手を置くと、乱暴に払いのけられる。倉本さんは目から滝のように涙を流して、喚き続けている。
「んー。別に、今からでもいいよぉ、今からでも、一本渡してくれれば、大丈夫だよぉ」
 倉本さんの声がぴたりと止まった。
「い、ま、から…?」
「うん、今からぁ。別に、歯ならなんでもいいよぉ」
 倉本さんの首がぐるりと回転したように見えた。直後、押し倒される。
 何が起こったか分からない。ただ、腰を打ち付けた痛みが押し寄せて来る。
 胸に重いものが乗っている。倉本さんの顎だ。
「く、倉本さん…」
「歯、ちょうだい」