食べると死ぬ花

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 その後のことは、都合のいい夢でも見ているみたいだった。
 倉本さんは僕のことを覚えていた。そして、僕にすごく感謝してくれた。頬を染めている倉本さんは可愛かった。
「僕…俺、のこと、覚えてるの?」
「ウン、もちろんだよ。でも、色々あったから…聞いてるでしょ…あんまり、人と話したくないの」
「そ、そっか。じゃあ、話しかけて、ごめん」
「ううん、いいの。あなたは…いいの」
 ゆったりとした口調で意味深なことを言われれば、勘違いもすると思う。いや、実際のところ、どうも勘違いではなかったようだ。
 僕が倉本さんのことが気になっていたように、倉本さんも僕のことが気になっていたらしい。
「優しそうな人だなと思ってた」
「いやあ」
 漫画のように頭をかくと、倉本さんは笑う。やっぱり、えくぼがすごくかわいい。
 倉本さんの現況は、大体噂通りだった。森に妊娠させられて、子供を産んで、若くして母親になった。でも、噂よりもっと悪い。森は倉本さんが子供を産んだすぐ後に、他に好きな人ができた、そもそも結婚なんてするつもりはないと言って、ほんの少しの現金を残して倉本さんの元から去って行ったらしい。
「森…最低だ」
「うん。そうね。数十万で子供育つわけないのにね。本当に最低。でもね…これだけじゃない、もっと最低なこと、されたんだ」
 倉本さんの目は虚ろで暗かった。
「森先生の家、農業やってるの。それで、森先生の奥さんのところには娘さんしか生まれなかったらしくて」
「は⁉ 森、奥さんいたのかよ」
「うん…それで、跡継ぎが必要だからって、息子渡せみたいに言ってきてね。当然、断ったんだけど…」
 倉本さんは目を伏せた。瞳が揺れている。泣くのを必死に我慢しているような顔だ。
「お、お母さんがね、女が、一人で、育てるのは、結局…結局、無理だからって…私がいないときに…帰ったら、もう、いなくて…」
 倉本さんはとうとう泣き出してしまった。きっと、息子を取り上げられたくやしさと悲しみが溢れてしまったんだろう。僕は何度か手を出したり引っ込めたりして、最終的に軽く、背中をさすることにした。気持ち悪いと思われるかもしれないと不安だったが、倉本さんは小さい声で「ありがとう」と言った。
 そしてなんと、家に誘われた。今は母親と一緒にアパートに住んでいるらしい。
「えっ、大丈夫? お邪魔じゃないかな」
「ふふ、お邪魔じゃないよ。お母さん、いまおばさんと旅行に行ってる」
 自転車の二人乗りとは、こんなに幸せなものだったのか、と思う。僕は中学生のとき、野球部の同級生がマネージャーと二人乗りをしているのを見て、本当に羨ましかった。そんな、青春みたいなことをするには年をとりすぎているかもしれないけれど、今こんなことが、しかもずっと好きだった倉本さんとできて嬉しい。
 倉本さんのアパートにつく。部屋に入ると、倉本さんは「手を洗ってね」と言った。
「汚い家でごめんね。テキトウに座って」
 言われた通り腰かける。確かにものが散らばり雑然としているが、僕だって掃除はほとんどしない。少し経って、倉本さんが隣に座って来た。柔らかい太腿が触れ、服越しでもどきどきしてしまう。
 下心を隠すために色々話したが、全部つまらない話だったと思う。そして、あろうことか、話題の尽きた僕はこんなことを言ってしまう。
「倉本さん、歯を使うおまじない知ってるっ? すごく効くらしいから試してみれば!」
 それまで相槌を打ってくれていた倉本さんが急に口を閉じる。やはりこんなことは話すべきではなかった。絶対に頭がおかしいと思われた。自分だって少女の麗美の言うことだからある程度付き合ってやったわけで、大人の男が言って来たら異常者だと思って二度と関わりを持たない。なかったことにしたい。誤魔化したい。それでも何のいい方法も思い浮かばない。
「私も…」
 地獄のような沈黙の時間の後、倉本さんは呟いた。
「私も、やった。その、おまじない」
「ほ、ほ、ほんと?!」
「うん。効いた」
「やっぱり、そうなんだ?」
「あなたも? 私は…どうしてもお金が欲しいとお願いしたら、先生のお母さんから、お金もらった。とにかく生活が苦しくて…」
「そ、そうなんだ…」
 もしかして、僕がやったのとは違うものなのだろうか。僕のやったのは小学生の可愛いお願いの範疇は越えていないが、お金が欲しいなどというのは、あまり可愛いお願いとは言えない。
「言いたい事、分かる。本当は、子供が先だよね。でも、とても困ってたの…だから、今度はちゃんと、子供が返ってくるように、デンタータ様にお願いするつもり。麗美ちゃんに、これ以上は覚悟が必要だって聞いたけど、覚悟ならできてるから」
「待ってくれ、麗美って言った? もしかして、原西麗美?」
 倉本さんはきょとんとした顔で、そうだけど、と言った。