第一回 おまじない

デンタタ

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Photo/Tatsuro Hirose
Photo/Tatsuro Hirose

「おまわりさんは、好きな子いる?」警備員のバイト中、少女に声を掛けられた僕。ある「試練」をクリアすれば、好きな人と結ばれるというが、その代償は…。「小説新潮」2024年8月号掲載「噛み砕くもの」と対を成す恐怖譚。

 その少女は僕のことを「おまわりさん」と呼んだ。実のところ僕は単なる警備員だったが、幼い子供に警察官と警備員の制服の区別はつかないだろう。違うよと言っても「おまわりさん」と呼び続けるから、そのままにしておいた。
「おまわりさんは、好きな子いる?」
 僕が潰れかけのショッピングモールで警備員のバイトを始めたのは、人付き合いが苦手だからだ。ここは地元だが、地元民の目線から見ても、よそから来た人に提供できそうな魅力はない。自然も食べ物も魅力かもしれないが、それはどこの土地だってそうだろう。突出した何かはないのだ。だから、大型ショッピングモールができるという話があったときは、皆浮足立っていた。当時小学生だった僕も、都会にしかないスターバックスコーヒーに行けると思って胸を躍らせた。しかし、そんな僕たち「ミーハーな田舎者」でここが賑わったのはほんの数年だった。
 そもそも、どの家にも自動車がある。
 こんな場所で済ませなくても、少し走れば東京とは言わないまでももっと色々なものが楽しめる場所がある。要は、ここでしかできない体験がなかったのだ。
 まず撤退したのが少し高い価格帯のブランドの服屋で、それに続いてスポーツ用品店が撤退して、ほんの数か月で、本屋、飲食店、スーパーまでなくなった。スタバももちろん消えた。残ったのは、郵便局などのインフラ施設。店舗らしい店舗は質屋と野菜の無人販売所くらいだ。空しいのは、地元の子供の絵を展示してあるコーナーが更新され続けていること。
 ほとんど誰もいなくなったショッピングモールで何を警備するのかと思うだろう。
「誰もおらんところで変な奴が変なことをしやんために監視するんやで」
 初日に先輩警備員の古田さん(六十代らしい)がそう言った。実際に古田さんは、酔っ払いが勝手に空きテナントで寝ていたり、外国人が勝手にアクセサリーを売っていたりしたのを追い出したことがあるらしい。
「ガキが乳繰り合っとるのはおもろかったけどな」
 そう言って古田さんは下品な声で笑った。確かに、数年で人が来なくなった施設は、未だ綺麗な状態だ。僕も、それから何度か、そういった行為をしている中高生くらいのカップルを見たことがある。大体、大きな音を出せば逃げていくから、なんの危険もない。
とにかく、何より、人間関係においてラクがしたい僕には、うってつけのバイトだった。警備員仲間なんて古田さんと、あと数人しかいないし皆老人だ。飲み会を開こうとか、そういう鬱陶しいことは言ってこない。白状すると、僕はもう、同世代の人間と付き合いたくないのだ。同世代の人間と比べて劣っていると思わされたくない。実際そうであっても。このショッピングモールは閑散としていて、綺麗で、子供と老人しかいない。大きなトラブルは一つも起こらない。僕の心はずっと凪いだままでいられる。
その日も、その前の日と同じように、モールの二階の、潰れた紅茶専門店の前で立っていた。エレベーターを上がってすぐのところに椅子とテーブルがいくつか並んだスペースがあって、ホームレスが居付くとしたらそこなのだ。紅茶専門店の前からはそのスペースが良く見える。もっとも、夜になるまでは、地元の小学生が宿題をしたりしているだけなのだが。
「ねえ。おまわりさんってば。好きな子いるか聞いてるでしょ」
 そんなふうに話しかけられたとき、僕は驚いて何も答えられなかった。
 肩までくらいの髪、ピンクのTシャツとデニム生地のスカート、レースの靴下に空色のスニーカー。顔は、ブスでもなく可愛くもない。典型的な小学生の女の子という感じだ。
「ねえ、いる?」
 もう一度聞かれても何も言えなかった。僕はまだ、おじさんというよりはお兄さんに近い年齢だけれども、小さい女の子に話しかけて良いのは学校の先生か、もしくは同じくらいの年齢の子供だけだ。
「んー。私はいるんだけどさぁ」
 少女は僕が答えなくても話し続けた。
「私ね、原西はらにし麗美れみ。好きな子の名前はぁ、原西健人けんと。お兄ちゃん」
「えっ」
 思わず声が出た。無反応を貫き通そうとしたが、無理だった。
 麗美は僕の顔を見てくすくすと笑う。
「分かってるよ? お兄ちゃんとは結婚なんかできないよぉ。んー。でもねぇ、好きな人と結ばれるおまじないがあるからさぁ、やってみようと思って。おまわりさんもいるならやってみようよぉ」
「しませんよ」
 口から飛び出したのは丁寧語だった。思えばこの時から、僕と少女には上下関係があったかもしれない。もちろん僕が下だ。
「どうしてしないのぉ? おまじない嫌い?」
「好きな子なんていませんから」
 麗美は頬をぷうっと、わざとらしく膨らませた。上目遣いで、じっと僕を見つめる。
「ウソつき。いるくせにぃ」
 体が震えた。図星だからだ。