透明になれなかった僕たちのために

透明になれなかった僕たちのために

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 カウンセリングルームではアンガーコントロールを学びました。そこでは砂が入った箱の中に人形や建物のミニチュアを並べて何かを表現する箱庭療法というのをやりました。箱庭で作る話が奇妙で、カウンセラーの先生に研究論文のネタに使ってもいいかと聞かれたこともありましたね。箱庭で自由に話を作るのは楽しかったです。
 この頃、僕は近眼になり眼鏡をかけはじめ、急激に見た目も冴えなくなっていきました。運動神経も悪くて昼休みの野球ではよく打順を飛ばされました。
 このような調子で、僕はあまり学校になじむことが出来ず、よく泣いていました。今、あの頃のことを思い出しても、別に正しいことをしていたとは考えにくい。僕は本当に色々間違っていたしズレていたけど、むしろそれが故に、理不尽な経験をたくさんした記憶があります。
 個人的な考えですが、小学生の男子というのは走るのが遅いとあまり生きていて楽しくありません。
 僕が食べるのが速いのは、その反動だと思います。
 うちは父も母も、きちんと昼休みを取ることが出来ない職業についていたせいか、食べるのが速い方でしたが、息子の僕は輪をかけて速かった。大人になった今でもゆっくりご飯を食べられなくて、気をつけているつもりでもすぐ一緒にいる人より先に食べ終えてしまい、相手に気まずい思いをさせてしまいます。僕は当時、せめて何かの競争で一番になりたかったのです。
 僕は三年生のクラスの早食いチャンピオンでしたが、四年生に進級すると異変が起きました。新クラスで前年度の各クラスのチャンピオンが一堂に会してしまったのです。したがってグランドチャンピオン大会が開催されたのは必然でした。結果、勝負の当日僕はパン当番にもかかわらず仕事を終えてダッシュで戻り優勝。早食い王の称号を得たのでした。その結果、人気者になれたということはなく、むしろクラスでは早食いの価値が暴落しました。僕のような者が得る称号に価値はないということで。食べるのが速いことによって人生で得したことは今のところあまりありません。

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 先日、新作の小説が世に出ました。
 TBSの『王様のブランチ』にも出させて頂いたよ。伊勢丹で買ったジャケットを着て、かっこつけてマトモそうなことを話してきました。きちんとした大人のように見えていたらいいなと思うのですが。
 ところで、ネット上で自分の評判を検索することをエゴサーチ、略してエゴサといいます。
 近頃の僕はといえば、一日の時間の大半をエゴサして過ごしていて、これは全く虚無的な時間の使い方です。貴重な時間をドブに捨てているなという感じがします。エゴサをしていると、ときどき、小説家をやめて、他の仕事をしたくなります。

 結局、今年のはじめに電話したときにも、あなたに、恋人を作るようにと言われたのに、それも実現出来ていません。いや、親に言われたから恋人を作ろうとするのも、随分色々間違っていると自覚してはいるのですが。
 帰りの新幹線の座席を取ろうとしたところ、この年末年始はのぞみが全席指定で、うっかりしていた僕は、チケットが取れませんでした。仕方なく、ひかりに乗って、自由席の車両で立って帰ることになりそうです。
 この世間の中で上手に生きていける自信はいまだに少しもありません。
 今、東京駅のカフェでこれを書いています。
 これから新幹線に乗って実家に帰ります。
 久しぶりにあなたに会えるのを楽しみにしています。
 美味しいものをたくさん一緒に食べましょうね。

敬具

東京駅から

息子より

(つづく)
※本連載は不定期連載です。