第七回 小説を書き始めて

母へ

更新

前回のあらすじ

僕はあなたが心身のバランスを崩して以来、心が通じ合わなくなったという感覚を持つようになりました。そして、一時期、僕はあなたのことがあまり好きではなくなりました。もう少し優しくしてあげれば良かった。

拝啓

母へ

 最近、息子の僕はスランプで、原稿が書けない日々を送っていました。それで、この連載も一カ月お休みを頂いてしまいました。
 前回の手紙で少し触れましたが、よく行くカフェの音楽のノイズがいつまでたっても直らず、店長らしき人がレジをしていたときに話しかけました。建物側の問題なので、直すようにかけあってくれるそうです。そんな風に壊れたスピーカーについてお店の人と話しながら、いつの間にか自分も大人になったなという謎の感慨を得ました。子供の頃はあまり適切に自己主張することが出来なかった気がします。
 先日、母の日にあわせてカーネーションの花束を贈りました。喜んでもらえて良かったです。思い返せば、母の日にきちんとしたカーネーションの花束を贈ったことがなかったような気がして。母の日の直前に予約すると、カーネーションが確保できなかったり、追加料金が比較的高くてついケチってしまったりして、今まで中々きちんと贈れなかったのです。
 そうそう、たしか前回は中学時代までの話を書いたのでしたね。では今回は、僕が小説家になろうと思ったときのことを書いていこうと思います。

 中学三年生のとき、僕は小説と出会いました。あの頃、僕は学校に行くのが嫌で、仕方なく、あてもなく街を徘徊していました。その理由を当時は「学校の授業は意味がなく、やる気がせずだるいから」と説明していましたが、学校でのいじめに疲れてもいました。
 路地裏の自販機でタバコを買って吸ってみたりもしました。そのように、おっかなびっくり、グレてみようかと試みたものの、あまりうまくはいきません。不良になるにはおそらく友達が必要で、僕には友達がいなかったからです。
 授業をサボって一人でゲームセンターで遊びました。たまに学校の先生が生徒を捕まえに来るという調子で、逃げ足が遅い僕は大抵捕まり、あなたも一緒に怒られました。

 街も日々さまよっているうち、やがて、あまり行くところがないという問題につきあたります。中学生なのでお金もなく、行ける場所は限られていました。
 その日、相変わらずやることがなかった僕は、四条大宮のブックファーストに立ち読みをしに行きました。
 平積みされていた目についた本を手に取って読み始めて、気づいたら夕方になっていて、何か変な気分だなと。それから次の日も本屋に行って、また同じ本を手に取って読みしました。やっぱり何か違う。更に次の日も立ち読みして、結局その本を買いました。
 本を読んでいるうちに、自分の心がどこか救われていくような不思議な感覚がありました。そして、いつか自分もそんな小説を書いてみたいと思うようになりました。
 それが僕と小説との出会いで、今、自分が小説家をしている理由です。

 こうしたことは、何度かインタビューで答えたり、あなたにも直接言っているので、ずっと僕の文章を読んで下さっている方にとっては何度も読んだエピソードで食傷気味かもしれず、僕自身も少し書き飽きてきたことですらあります。照れくさくて、書きあぐねてしまう。
 なんだか言葉にするとご立派な動機という感じもして、ときどき、自分で自分を冷笑したくもなります。別にどんな動機でも、書くものが良ければいいのに、と僕自身思います。
 それでも、僕が未だに良かったなと思うのは、やっぱり、この動機がいいものだったということです。