『神様の果物 江戸菓子舗照月堂』
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篠綾子小特集
[レビュアー] 篠綾子(作家)
女ながらに菓子職人を志した娘・なつめの物語「江戸菓子舗照月堂」シリーズが、
今年七月に刊行される十巻目「神様の果物」で、ついに完結を迎える。
著者である篠綾子氏に完結記念エッセイを寄せていただいた。
お菓子の神様と橘の実
この度、「江戸菓子舗照月堂」シリーズが十作目をもって、完結を迎えることになりました。
最終巻のタイトルは「神様の果物」。この場をお借りして、これまで続けてこられたことに深く御礼申し上げると共に、「神様」と「果物」について紹介させていただければと存じます。
神様とは、菓子の神様のことで、その名は田道間守命。
田道間守はお仕えしていた垂仁天皇を救うため、常世の国へ非時香菓を探しにいきます。非時香菓は不老不死をもたらすと言われ、それによって主君の命をつなぎとめようとした。田道間守は見事、非時香菓を持ち帰るのですが、その時には垂仁天皇は崩御していたという悲しいお話です。
非時香菓は橘の実のことと言われますが、それは実が長く枝にあり、香りを保つことに由来するそうです。古代、「菓子」は果物を指す語でもあり、この非時香菓こそが日本初のお菓子と伝えられ、それをもたらした田道間守は菓子の神様となりました。
ところが、この橘。江戸時代の時点ですでに、とある柑橘類に押され気味だった模様。
本居宣長の『玉勝間』では、こんなふうに書かれています。
「いにしへは、橘をならびなき物にしてめでつるを、近き世には、みかんといふ物ありて、此みかんにくらぶれば、橘は数にもあらずけおされたり」
――昔は橘をすばらしいものとしてきたが、近頃登場した蜜柑に比べれば、橘は物の数ではない。
そして、この後には「柑子や柚や九年母、橙といった柑橘類の中でも蜜柑は特に味がよく、元祖の橘にも似て、他のものに勝っている」という記述が続きます。
江戸時代にも種々の柑橘類があったようですが、蜜柑が他を圧していたと分かります。
本居宣長は「古いものより新しいものが勝っている例」として蜜柑を挙げており、ここだけ読むと、新時代にふさわしい蜜柑を絶賛しているようです。実は本文の趣旨は別のところにあるのですが、それはともかく、この時代、すでに橘は光が当たらなくなっていた。
しかし、柑橘類の元祖であり、神様が日本に持ち込んだとされる最初の菓子として、それでは残念です。
私は橘のジャムとマーマレードを口にしたことがありますが、酸っぱさがかなり抑えられた優しい味でした。いつか橘を使ったお菓子(できれば、和菓子)を食べられたらなと思っています。
さて、日本で最初の菓子となった非時香菓。
これは、田道間守命が病身の主君のため命懸けでもたらした果実であり、大切な人の健康を守るためにもたらされた菓子でした。最終巻では、このことが、どんな菓子を作っていきたいか模索する主人公、なつめの人生に関わってきます。
生き別れになっていた兄との再会を果たし、自分の菓子の道について思いを致すなつめ。そんななつめが見出した菓子の道を共に御覧になり、応援していただければ、これに勝る喜びはありません。
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【著者紹介】
篠 綾子
1971年、埼玉県生まれ。東京学芸大学卒。第4回健友館文学賞受賞作『春の夜の夢のごとく─新平家公達草紙』でデビュー。短篇「虚空の花」で第12回九州さが大衆文学賞佳作受賞。主な著書に『蒼龍の星』『白蓮の阿修羅』『月蝕 在原業平歌解き譚』『酔芙蓉』『青山に在り』(第1回日本歴史時代作家協会賞作品賞)『岐山の蝶』『天穹の船』。主なシリーズに「更紗屋おりん雛形帖」(第6回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞)「代筆屋おいち」「絵草紙屋万葉堂」「万葉集歌解き譚」「小烏神社奇譚」など多数。