だが童女はおびえるどころか、顔を輝かせさらに訊ねてくる。
「やっぱり壙から来たんだ。真气しんきさんを迎えに来たのだけれど、あなたのこと?」
 士官は絶句した。
 真气というのは、南へと送り届けようとする王族の名である。壙の王族をそのいみなで呼ぶなど、何人なんびとにも許されない行為。何より、軒車に誰を乗せているかは士官を含め数人にしか知らされていない。
「やはり妖邪か」
 士官は両手で矛を握り直した。
 そのとき、彼の背後から声がとどろいた。
「童女よ苦労をかけた。壙国螞帝が第四三二〇一王子の真气とは余のことである」
 軒車から降りた真气が、すぐそこに立っていたのである。
 士官は戦車から転げ落ちんばかりの勢いで、その足元に平伏する。
 壙国の王子、真气とは童子であった。
 年の頃は、道をふさいでいる童女と同じくらいであろう。彼が纏う漆黒の衣は、至るところに軟玉が縫い付けられ、日の光を受けて燦然さんぜんと輝いていた。頭に被ったべんかんはいささか大き過ぎ、目元までがすっぽりおおわれてしまっていた。
 童女は真气の方に向き直り、
南国瑤花ようかが第一の王女が、真气王子のことを迎えにまいりました」とならうようにして名乗りをあげた。
 士官は再び言葉を失った。
 南国の瑤花といえば、の国をべる女王の名。臷南の王は、年端としはもいかない自らの娘ひとりを迎えに遣わしたのである。
 予想もつかぬ南流の出迎えに固まる士官を尻目しりめに、真气はするすると童女の方に歩み寄った。
「では瑤花の王女よ、南の都まで案内してもらおう」
 それから振り返り、士官らに迷いなく告げたのである。
「遠路遥々はるばるの随行、大儀であった。お主たちは都に戻り、余が無事に臷南辿たどり着いたとけいたちに報告してくれ」
 それには、士官も黙ってうなずくわけにもゆかなかった。
おそれながら申し上げます。ここは蛮地ゆえ、どのような危険があるか分かりませぬ。せめて南の都まではお伴いたします」
 すると、真气はかすかに笑い声をたてた。
「このような童女がひとりで歩いてきた道であるのだぞ。いかなる危険があるというのだ」
 言われてみれば道理であり、士官に返すべき言葉はなかった。
 彼は傍らの馭者に命じて、馬首をめぐらせた。壙の兵たちは身に纏った鎧をかちゃかちゃと鳴らしながら、北方へと引き返していった。
 真气は耳をそばだて音が遠ざかるのをじっと待ってから、童女に声をかける。
「では、臷南の都に向かうことにしよう」
「じゃ行こうか。これから歩けば、日暮れまでには到着すると思うよ」
 日はまだ、天の最も高くに昇りきってもいない。
「歩くというのか」
 真气はうわずった声をあげた。
「輿も、車もないというのか」
「なんで驚くの。真气さん歩けるでしょう?」
「確かにそうだが…」
「だったら問題ないよね。王宮があるのはこっち」
 童女はそう言い、真气の手を取った。
 真气はびくりと身体からだをこわばらせたが、相手は年端もゆかぬ童女であるのだと思い直し、その手が導くままに歩調を合わせる。
 壙と南の狭間はざまにある草原を二人は歩き始めた。
 どこからか、縞白鷴シマハツカンの調子を外したような鳴き声が運ばれてきた。
 その姿を探すように童女は視線を遠くへと向けた。鳥は見えず、彼女の目に映るのはどこまでも続く草原だけ。そこを貫く一条の淡緑は地が果てるまで続き、空の青と混ざりあっていった。
 目指す先は、遥か遠く。
 その旅路の果てに何が待ち受けているのか、幼い二人は知るよしもなかった。

(つづく)