夢を見た。過去──『一つめ』の命を得た時代の記憶である。
己の一生は、初めに産まれた時から苦難の連続であった。
人の言う、天明年間の時だった。この頃、悪天候や冷害が続いたかと思えば、異様な暖冬を経て、全くの水不足に陥った年がある。
農民共は年貢も納められなくなった。ましてや自分達が食う粟も稗も無い。そんな酷い年に、何故母は己を産んだのか。いや、親の都合に愚痴を言っても仕方がないし、母も答えられまい。だがそんな悪態をつかずにはいられないほど、その年の飢饉は深刻だった。
草や水の香りよりも、土の味ばかりを覚えている。母は早々に死に、己と兄達はその肉を食って腹を満たした。しかし力の弱い末弟である己の食える肉は、少なかった。
野良である己達をも愛玩し、時に世話を焼く人間のことは、当時まだ憎からず思うこともあった。そんな連中が腹を空かせ、肋骨を浮かせ、落ち窪んだ目を所在なく泳がせて倒れていくのを見て、哀れに思うこともあった。
しかし、己はようやっと食い繋ぐのに精一杯で、それ以上に連中を気の毒に思う余裕も無く、ただひもじさばかりが募った。
一匹、また一匹と兄達が死んでいき、最後に己だけが残った春のこと。
一切の食うものが無くなり、人間達は己らと同等の獣に成り下がった。共食いを始めたのである。中には、捌いた人肉に草を混ぜて犬の肉として売るなどという商魂逞しい屑も居たというが、己にとってはそのまま共食いを続けてくれた方がありがたかった。
何せ碌に立ち上がれず、起き上がれぬまま、茣蓙の藺草まで噛んで空腹を紛らわせるような有り様だった連中が、まだ動く気力のある己が目の前に現れた刹那、目を爛々と輝かせて活力を取り戻す。そして必死の形相で追い縋り、叫ぶのだ。「肉が歩いているぞ」と──これが、恐怖でなくて何だというのだ。
あの時、食うものを何も見付けられず、守ってくれる兄も居なくなって、うっかり人里近くまで下りてしまったのが間違いだった。
まだ辛うじて足腰の立つ老人が、杖を突きながら乾いた土の上をヨタヨタと歩いていた。奴は、目の前に飛び出してきた己を見て一挙に気力を取り戻したように跳ね、飛び掛かり、落ちていた石を握り締めて一打ちの下に己を殺したのである。
今でも思い出す。あの時代を生きた時のひもじさ、喉の渇き、恐怖。どれを取っても、その凄惨さは一朝一夕で語り尽くせるものではない。
ただ、苦しかったあの時代を、己は決して忘れられない。
それが、猫として生きた最初の一生だった。