猫と罰

猫と罰

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 曰く、隣の小山の麓に新しく住民が越してきたという。大分昔から空き家になっていたのを改装し、再び住めるようにしたそうだ。近くの農道の木陰で昼寝をしていたところ、見慣れない顔の人間が飯をくれたと言うのである。
 連中は都会から来た人間なのだろう。野良猫というものを珍しがり、ここらの農民であれば常識となっているはずの、「猫は畑に糞を引っ掛け、干物を盗んでいくコソ泥である」という認識が無いらしい。
 労せずして飯にありつける。野生動物にとってこれほど手軽で確実な食事は無い。これに、母も兄も下の姉も喜び、明日はそこへ行こうという話になった。が、己は慌ててそれを止めた。
 人はいつか居なくなるし、野良猫なぞに飯を与える連中は、簡単に見捨てる。気まぐれで動物を可愛がり、ちょっと面倒になったら平気で捨てるのだ。そんな連中に日々のかてを頼るのは危ないと、強く言ったつもりだった。
 だが、姉も兄も、果ては母までも、己の言葉に実感が湧かないようだった。
「もう、ご飯が獲れなくてお腹が減ることもないんだよ?」
 皆、短絡的な考えしか出てこないようで、己の言葉が何も理解出来ないらしい。
 この時、己はようやく知った。
 彼らはみな、『一つめ』なのだ。
 人が容易に心変わりする存在だということも、その生活が永遠には続かないものだということも、まるで分かっていない。信じられないほどの能天気ぶりは、人間との関わりが己よりもずっと浅いことをはっきりと示している。
 鈍感で無知で、愚かしい。けれど込み上げるこの鬱憤うっぷんや嫌悪をぶつけても、彼らを引き留める力にはならぬことを、賢い己は理解してしまっていた。
 結局翌日から、家族は皆、飯をくれるという家の近くで日中を過ごすようになってしまった。己は、誘われてもかたくなに断って、日中は神社の縁の下に引き籠った。
 ああ、まただ。またこれだ。
 信じたそばから去っていく。いい加減に諦めろと何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに、今度こそは、と心の何処かで期待してしまっていた。この『九つめ』でさえも。
 無償で与えられる親や家族からの愛情がそうさせたのか、転生の都度に一度忘却の彼方へと記憶が追いやられてしまう為か。悔やむが、しかし詮の無いことだった。
 己は相変わらず虫やスズメを獲るなどしていたが、怠惰に過ごす家族は、行って帰ってを繰り返す日々が続いて。
 …そうして、いつしか皆、神社に帰ってこなくなった。
 晩夏の頃である。己の体も一回りだけ大きくなり、己一匹だけでも餌が獲れるようになったというのに、家族は誰も帰ってこない。
 理由は知れぬ。知れぬが、人と関わり過ぎたことに原因があるのは明白だった。
 人に拾われたのか。そして己は、見捨てられたのか。
 考えるだけ無駄に思えて、己はただ、まだ夏だというのにやけに冷たくなった縁の下で、孤独に眠る日々を送ることに決めた。
 拾われに行こうとも、そして捜しに行こうとも思わない。結局いつかは、誰しも孤独に生きなければならぬのだ。頼れば負けだ。信じれば負けだ。それを忘れた時、己の心は深く深く沈み、傷つくだろうから──そう自分に言い聞かせる。
 この孤独を、己はよく知っている。

(つづく)
※次回の更新は、7月3日(水)の予定です。