【試し読み】「日本ファンタジーノベル大賞2024」大賞受賞作!『猫と罰』②
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「慈愛と寛容のものがたり」(漫画家・ヤマザキマリ氏)、「猫好きにはたまらない一冊」(女流棋士・香川愛生)と各界の猫好きが大絶賛する、宇津木健太郎氏のデビュー作『猫と罰』は、明治の大文豪、夏目漱石の黒猫が輪廻を巡っていく「日本ファンタジーノベル大賞2024」受賞作です。
かつて漱石と暮らした黒猫は、何度も生と死を繰り返し、ついに最後の命を授かった。過去世の悲惨な記憶から、孤独に生きる道を選んだ黒猫だったが、ある日、自称“魔女”が営む猫まみれの古書店「北斗堂」へ迷い込む――。猫好きには堪らない”ハートフルビブリアファンタジー”の冒頭部分を5日連続で特別公開いたします。
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産まれたのは、梅雨の時期だった。
場所は分からないが、何処ぞの片田舎であるらしい。田圃が連なる山間に点々と建つ民家が、小山の上から見下ろせる。昼間でも車通りは少なく、神社が建てられた小山の森の中は、特に人の往来が無い。鬱蒼と繁る林の木漏れ日は心地よい暖かさで、嘗て住んだ東京の喧騒や異臭とは縁遠い、芳醇な土と水の匂いに満ちた土地である。
根城としている神社はそんな住み心地のいい場所だった。しかし時々、社の管理人らしき男が訪れ、頭上でゴソゴソうるさく掃除をする。猫を含めた動物全般が嫌いらしく、母曰く、以前に男の住む家の近くを通りがかった時、物凄い剣幕で追い立てられたそうだ。以来、母は己に「絶対姿を見せちゃ駄目だよ」と事あるごとに強く戒めている。嘗て己を折檻した男の顔を思い出し、身震いしてその忠告に従っていた。
危ないところ、行ってはいけないところ。そうした場所を学びながら、己は神社を中心とした山の中を家族で彷徨い、餌を探し、見知らぬ土地を徐々に自分の庭へ変えていった。
そんな習慣も根付いた六月の終わり頃。日向を歩けば嫌気が差し、地面も熱くて堪らないくらいになった。自然と、己達は日中を神社の縁の下で過ごし、夕方から夜に掛けて餌を求める生活を送るようになった。
そろそろ乳離れをして、固形物を食わねばならない時期である。母達は己に、遊びがてら狩りの仕方を教えてくれるようになった。
己の場合は『八つめ』までの記憶と経験があるので、実際に新しく覚える知識などは無い。親や兄達が『幾つめ』なのかは知らないし、己達猫は普通それを誰かに教えることはないのだが、少なくとも姉や兄より己の狩りは上手いだろう。
だが、この仔猫の体というのはどうしても元気が有り余る。大人の頃と勝手が違い、手加減したつもりがまるで弱かったり、力を籠めると強すぎたりして、記憶と体の動きがちぐはぐになってしまっているのだ。勘を取り戻す為にも、不本意ではあるが遊びに興じなければならない。
姉達もそれを知ってか知らずか、ああだこうだと口出しはしない。母の尻尾がパタパタと動くのを、抗えぬ本能に従って追いかけ、両前足でひっぱたきながら無為に時間を過ごすのを、ただじっと見ている。時々強く叩いたり?んだりすると、前足でチョイチョイと窘められる。
蝉を獲り、野ネズミを獲り、川の水を飲む。人が近付けば逃げて姿を隠し、止む無く村に出なければならぬ時は車に気を付ける。
そんな当たり前のことがやっと習慣として身に沁みついてきた時である。上の姉が夕方、散歩から戻ってきて興奮気味に言った。
「ねえ、ご飯もらえる場所、見付けたよ!」