【試し読み】「日本ファンタジーノベル大賞2024」大賞受賞作!『猫と罰』①
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「慈愛と寛容のものがたり」(漫画家・ヤマザキマリ氏)、「猫好きにはたまらない一冊」(女流棋士・香川愛生)と各界の猫好きが大絶賛する、宇津木健太郎氏のデビュー作『猫と罰』は、明治の大文豪、夏目漱石の黒猫が輪廻を巡っていく「日本ファンタジーノベル大賞2024」受賞作です。
かつて漱石と暮らした黒猫は、何度も生と死を繰り返し、ついに最後の命を授かった。過去世の悲惨な記憶から、孤独に生きる道を選んだ黒猫だったが、ある日、自称“魔女”が営む猫まみれの古書店「北斗堂」へ迷い込む――。猫好きには堪らない”ハートフルビブリアファンタジー”の冒頭部分を5日連続で特別公開いたします。
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猫には九つの命がある。
その内の三つで遊び、
その内の三つで放浪し、
最後の三つで人間と一緒にいる。
── 英語の古い諺より
一
己という名前の無い猫をなあなあで居つかせたあの男との関係は、結局あいつが己に名前を付けないままに終わってしまった。
今でも、風変わりな男だったと思う。したたかで癇癪持ちの厭世家ではあったが、それでも、己が八つの命を繋いできた長い時間の中で言えば、あいつと過ごした日々が一番穏やかで幸福だったというのは間違いない。
あの男の下で過ごしたのは『三つめ』の時だった。九つある命の内の、大切な一つ。その中でもこの『三つめ』は、一等特別な思い出である。
なにせ、『一つめ』の時も『二つめ』の時も碌な一生ではなかった。辛うじて生きながらえては死に、やっとこさ生き抜いては呆気なく死ぬ。その繰り返しで、『真名』を貰うことが出来ぬままだったのだ。
真の名前──人間には与り知らぬことだろうが、これが有ると無いとでは、魂の価値が違う。品格と言い換えても良かろう。仙人の如き叡智を得て、王者の如き威厳を得る。一回の命しか持てぬ他の生き物と我ら猫との大きな違いは、この真名によるものだ。
真名を持たぬつもりなら、それでもいい。だが真の名を持たぬ猫など、愚鈍で無知蒙昧な有象無象である。幾ら九つの命を繰り返そうと、所詮けだものの範疇から抜け出せぬ、哀れな魂魄にしかならぬ。
早くに真名を得られれば良い。しかし己の場合、そう簡単にいかなかった。だからこそ、『三つめ』の命を受けた時、己はどうしても、あの男に名前を与えて欲しかった。
なのに、あの男は実にいい加減であった。わざわざ己を迎え入れたにも拘わらず、世話は細君に任せきりであるし、細君の他に家族の者と話す時は持ち前の癇癪を破裂させたり、飄々として軽口を叩いたりした。
そんな奴の下に居着いてしまったので、『三つめ』でもついぞ名前を貰えずに終わった。流石に『四つめ』にもなって名無しでは、己の生き様というものに示しがつかぬ。
──仕方がないので、男の名前を借りて「金之助」と名乗ることにした。
ところがそれから、己はこの真名を使うことなく、次の命もその次の命も無駄にしていった。その次も、その次も。
そして『八つめ』の時にようやく悟った。生きるとは虚しいものなのだと。
人間どもは、生きるということを難しく考える。飯を食い、十分に眠る。それだけで、大体動物は幸せになれるのだ。飢えに苦しんだり、食われたりする心配もなく生きられるなら、それでいいじゃないか。
なのに大抵は、やれ金が必要だとか、やれ生きがいが欲しいだとか、人はやたら背伸びをしたがる。真に苦悶している人間など、連中の内にどの程度居るのか、知れたものではない。
そして大層な夢を口にして、連中の多くは何も成し遂げぬままポックリ死んでいく。
夢なんてものは、持たないに限る。
災厄に見舞われてしまったら、諦めて身を委ねればいい。そこまでの運だったってことなのだ。たとえどんなに身近で大切な奴が死んだって、己には何の関係も無い──簡単にそう思えるのだから、諦観というものは便利な方便ではないか。
あの男も、そうして心を病んだのだろうか?
時々思い返してみるが、答えは出ない。所詮、猫に人間の考えなど分かりはしないのだ。
人間が猫に対してそうであるように。