なぞとき

なぞとき

  • ネット書店で購入する

「この怪我は、表で小鬼に付けられたんですよ。屋根から落ちてきたんです」
「へっ? 小鬼が佐助さんを、血だらけにしたって?」
 妙みょうな声を出したのは、薬種問屋やくしゅどんや長崎屋で働いている付喪神、屏風びょうぶのぞきだ。近くにいた鳴家の一匹を捕つかまえ、眼前にぶら下げたが、小鬼はじたばたと手足を振るばかりで、屏風のぞきの手から逃れる事すら出来ない。
「この鳴家が佐助さんを、襲ったのか? 何と言うか、変というか、余あまりにも奇妙だ」
「きょんげ?」
 小鬼は直すぐ、逃れようとするのにも飽あきたようで、屏風のぞきに掴つかまれたまま、眠り始めた。妖達は、もっと細かい事情を問うべく、佐助を取り囲もうとする。
 だが、廻船かいせん問屋長崎屋の手代である佐助は、いつも忙いそがしい。間まの悪い事に、店表たなおもてから奉公人ほうこうにんの金次きんじが呼びに来たので、昼餉は多めに届けると言い置き、佐助は廻船問屋へ戻ってしまった。
 だが金次は奉公人なのに、そのまま店へ戻る事無く、離れへ入る。そして己おのれの茶をもらうと、堂々と怠なまけ始めた。
「なんだい、おしろさん。働かなくて良いのかって? あたしや屏風のぞきの一番の勤つとめは、離れで若だんなの相手をすることだから、大丈夫さ」
 廻船問屋には今日、貧乏びんぼうにしてやりたいような相手も来ていないしと、貧乏神びんぼうがみは恥はじる事なく猫又ねこまたへ言っている。
 二人の兄やと、屏風のぞきや貧乏神金次は、妖ながら何故なぜだか、長崎屋の店で働いているのだ。貧乏神が店先で商あきないをしている事は、若だんなと妖しか知らない、お江戸の大きな秘密であった。
 おしろはここで、二股になった尻尾しっぽを振りつつ、他の皆にも茶を配った。
「若だんな、もう一杯、熱いお茶をどうぞ。そういえば屏風のぞきさんも、薬種問屋から来たと思ったら、離れでくつろいでいますよね」
「そりゃ、付喪神たるあたしの居場所は、本体の屏風がある、この離れだからね」
 奉公はくたびれるから、時々は怠けねばと言いつつ、屏風のぞきは茶を飲んでいる。小鬼達も大きな皿に顔を突つっ込み、茶を飲んでいるのを見て、わざとらしくも首を傾かしげた。
「あのさぁ、今頃言うのもなんだけど。この小鬼が何匹いても、佐助さんを血だらけにするのは、無理ってもんだよ。佐助さんは何だって、小鬼にやられたなんて冗談を言ったんだろ」
 付喪神の言葉に、皆が頷うなずく。若だんなは、まず真まっ当とうに兄やを案あんじた。
「佐助は強い。だから、私に心配をかけまいと、無理をしたのかしら」
 余程よほどの強敵が現れたのではと、心配しているのだ。
 だが妖達は、大して兄やを案じはしなかった。悪夢を食べる獏ばく、場久ばきゅうが、分かりやすく気持ちを告げてくる。
「若だんな、大丈夫ですよ。佐助さんが本当に、とんでもない力と戦って困ったなら、長崎屋の暮らしを守る為ため、無茶をしたでしょう。なら江戸はとうに、半分ほど壊れてます」
 しかし今朝方けさがた場久が、一軒家から離れに来た時、お江戸の町はまだ、いつもの様子であった。
「つまり佐助さんは、まだ暴れてません。佐助さんが怪我をした訳は、謎なぞのままですね」
 すると、場久の考えを聞いた鈴彦姫が、おしろを見つめた。
「怪我人はいるのに、どんな争あらそい事があったか分からないなんて、不思議な話ですね。ちょっと、どきどきしてきます。佐助さんを襲った相手って、誰なんでしょう」
「確たしかに、そそられる謎だわ」
「きゅい、小鬼はわくわく」
 鈴彦姫とおしろ、小鬼だけでなく、金次、屏風のぞき、場久までが、目を煌きらめかせ始めた。金次が明るい声で言う。
「あたしは、どきどきしてきたよ。何かこう…先せんだって大店おおだなを一つ、左前ひだりまえにした時のようだ」
 金次は、心躍おどる決戦をしていたのだ。
「店を一代で大きくしたと、威張いばってばかりの主あるじがいてね。そんな風だから、この貧乏神が目を付けたのさ」
 金次によると、その店は、潰つぶれはしなかったという。ただ。
「大店からの婿入むこいりの話が、吹っ飛んだな。佐助さんがらみの勝負も、あの件みたいに、楽しめるといいねえ」
「きゅい、きゅい」
 ここでおしろが、首を傾げた。
「楽しむって、何をするんですか? 佐助さんは一度、怪我をした訳を、小鬼にやられたと言ってます。その言葉を変えるとも思えませんが」
 するとここで場久が、賭かけをしないかと言い出した。皆で、佐助が怪我をした本当の事情を突き止め、一番早く知った者が勝者となるのだ。
 離れにいた皆の目が、大いに煌めいた。

(つづく)
※次回の更新は、7月18日(木)の予定です。