幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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「互いに持っておくべきものらしい」
 一石教授は紙を小さく折りたたんでポケットに入れた。俺はそのままバックパックのクリアファイルにしまった。
「これでヨシ」
 そのあと研究室が開いている曜日、時間など細かい説明をしてくれた。
 しばらくして部屋のドアが勢いよく開いた。開けたのはもちろん三澄という少女だった。一石教授が言うところの嵐。驚くべきことに、彼女は出て行ったときとまったく同じ熱量の不機嫌さで部屋に戻ってきた。
「まだいたの」
 そう言って彼女は自分のデスクにノートパソコンをおき、椅子に座った。
 一石教授がのんびりした声で言う。
「万里部くんとは話がまとまったよ。今日から手伝ってもらう」
 三澄は目を見開いて立ち上がった。彼女は、怒りのボルテージと筋肉が連動しているのだろうか。
「勝手に話を進めないでください!」
 一際大きい声で三澄が叫んだ。
「今日初めて会ったどこの誰かもわからない人を、どうしてわたしと先生の研究に参加させるんですか! よりにもよって起動実験の当日に!」
 一石教授は自分のペースを守ったまま答える。
「確かに、自己紹介くらいしとこうか。これから一年は一緒に研究することになるわけだから。ねぇ万里部くん」
「なりません」
 三澄が食い気味に答える。
 一石教授は小さく笑い、さっき机においたパイプとは別のものを手に持った。デスクには三本のパイプが並んでいた。足元から大きなガラス瓶を取り出し、そこから茶色い葉っぱをつまんでパイプにつめる。三澄はしばらくその様子を見下ろしていたが、やがて小さくため息をついて俺に顔を向けた。
「ちょっといい? 二人で話したいんだけど」
「俺は別にきみと話したいことないんだけど」
「こっちには山ほどある。あなたに伝えておかないといけないことが。いいですよね、先生」
 一石教授はパイプに詰めた煙草の葉っぱを親指でぐいぐいと押しながら微笑む。
「もちろん。どうぞごゆっくり、存分に。若者同士の対話ほど意義深いものは、世界広しと言えどなかなかない」
 三澄はスタスタと玄関につながるドアに歩いて行き、ノブに手をかけて振り返った。
「ついてきて」
 俺は一石教授に目を向けた。彼はアメリカ人のように大袈裟に肩をすくめてみせた。
 三澄は研究室を出て外階段につながる非常口から屋上に上っていった。俺もそのあとに続く。
 屋上は船首の丸いボートのような形をしていた。まだ冷たい四月の風が吹いている。まともな手すりもなく、端のほうで転んだりしたらそのまま落ちてしまいそうだ。
 三澄は屋上の真ん中で立ち止まり振り返った。
「先生からどこまで聞いた?」
「ちょっと待ってくれ。きみって誰にでもそういう感じなのか?」
 三澄は黙ったまま首をかしげた。
「そういう感じってなに」
 それだよ、と呆れながら思う。三澄はずっと俺を睨みつけている。
「あなたと仲良くやっていくつもりはないわよ。その必要もないし」
「同感だよ。目の前に大金を積まれても、きみとは仲良くなれる気がしない」
 三澄は不快感を滲ませながら目を細めた。
「単位が欲しいだけのくせによく言う」
「単位をくれるのは一石教授だろ? きみにとやかく言われる筋合いはない」
 三澄は威嚇するように息を吐き出した。
「随分口答えするじゃない。猫被ってたのね。先生の前では大人しかったくせに。そういう人間が一番嫌い」
「よかったよ、きみに好かれる人間には同情するしかない」
「どういう意味よ」
 俺は後頭部をかいた。ダメだ。自分の悪いクセが出ている気がする。昔から集団で揉め事が起こるときは大抵当事者になってしまう。普段はそんなに目立つほうではないのに、腹立たしいことがあるとやり過ごすことがどうにもできない。
 それに、彼女の言うことにも一理ある。
 俺には物理に対する情熱がそれほど残っていない。それは物理学科に入ってからあっけなく鎮火してしまった。今では煙も出ていない。彼女の言うとおり、留年したくない一心でのこのこやってきたわけだ。俺は降参するように両手を上げた。
「やめよう。ここで揉めても意味がない。要求があるなら聞くよ。単位が欲しいだけってのはそのとおりだし。だけどきみも譲歩してくれ。一石教授は俺の指導教官になった。帰れというきみの要求は呑めない」
 そこまで一息に言った。
 三澄はたっぷり俺を睨みつけたあとで口を開いた。
「最初からその話をするつもりだった。言ったでしょう、伝えることが山ほどあるって。それなのにあなたが、わたしの態度がどうとか言い出したからこじれたの、わかってる?」
「あぁ、わかった。そうだ、そうかもしれない」
「かもしれない?」
 一音一音区切るように三澄が言った。
「いや、そうです、あなたの言うとおりです」
 早く終わらせたい、帰りたい。そう思いながら言った。
「万里部くん、だったわよね。あなたは研究に役立とうなんて考えなくていい。先生がなんて言ったか知らないけど、意見を求められても、うんとかすんとか相づちを返せばいいのよ。壁打ちの壁になればそれで充分。学部の卒業資格に値すると思っていいわ」
 ここまでくると逆に感心する。なにか一つ伝えるために憎まれ口が十も二十も飛んでくる。一石教授はなにをどうやって、この子に先生と慕われる立場を築き上げたんだ?
「あなたに期待するたった一つのことは、研究内容を秘匿すること。それだけは守って」
「一石教授にも言われた。そのつもりだったよ。署名までさせられた」
「いいえ。あなたはまだ、口を噤むことがどれだけ重要か理解してない。わたしたちの研究は、内容を知れば誰かに話したくてたまらなくなる」
「きみが思うほど、世の中の人は物理のことばかり考えてるわけじゃないよ」
「あなたみたいな凡人が考えてるよりよっぽど、政治と科学は複雑に絡み合ってるのよ。わたしたちの研究内容が間違った方法で世間に知られれば、個人だけじゃなく国単位で所有権を巡る醜い争いが起こる。絶対に」
 俺は小さく笑った。
「映画みたいな話だ」
「そうね、そのとおりよ。それにわたしは、あなたの言う映画みたいな対処を本気でとる。もしもあなたのせいで研究内容が漏\_rろう\/洩\_rえい\/したら―」
 三澄はそこで言葉を切った。突き刺すような視線を俺に向けている。
…漏洩したら、どうするんだ」
「あなたの社会的信用を失墜させて、過去のあらゆる発言の信憑性を失わせるよう最大限に努力する。それでもわたしはあなたを一生許せないから、最後にはきっとあなたを殺すわ。本気よ」
 三澄は言葉通り真剣に言った。こんなに真剣に殺すと言われたのは初めてだ。
 俺はため息をついた。
「わかった。ここで見たこと聞いたことは絶対秘匿、誰にも言わない、どこにも書かない」
「そう。絶対にわたしの邪魔もしない、わたしと先生が議論しているときに割り込んでこない、不用意に視界に入ってきて、集中を妨げない」
「ちょっと待ってくれ、もう要求が増えてる」
 三澄はなにも答えず、自分の苛立ちを吐き出すようにため息をついて視線を遠くに向けた。
「なんでよりにもよって、今日なのよ―」

 さっきの部屋に戻ると、一石教授は自分のデスクで紙にペンを走らせていた。口に咥えたパイプからは相変わらず、機関車のように煙が上がっている。ペンを止めて顔をあげた一石教授がイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「相互理解に至ったかい」
「そんなわけないじゃないですか」
 三澄の回答に、一石教授が笑い声を返した。
「じゃあ行こうか」
 一石教授は立ち上がった。三澄は小さく深呼吸をしてから小さく「はい」とだけ返事をした。
「あの、どこに?」
 俺が聞くと、一石教授が微笑んで答えた。
「未来との通信機を起動しに」

 先を歩く二人についていく。一石研のある建物を出てから陸橋を渡り、一棟だけぽつんと建っている高層ビルを回り込むようにカーブする下り坂をおりていく。
 不意に一石教授が俺を振り返った。
「田端の秘密を知ってるかい?」
「田端の、秘密…?」
 少し考える。まったく心当たりがなかった。そもそも田端についての知識が一つもない。
「田端はね、最後まで停電しない駅の一つなんだよ。JRの総合事務所や社員寮があるから」
 秘密、というよりちょっとした豆知識だった。
「便利ですね」
「そう。便利だ。私たちの実験場所としてもそれなりに要件を満たしている。理想とは言えないけどね。アクセスが良くて、人が少なくて、停電し辛い。そんな街は田端しかない」
 一石教授はそう言い終えて立ち止まった。どうやら目の前の白い真四角の建物が目的地のようだ。
 建物の入り口で長身の男性が待っていた。誰にも不快感を与えない髪型に、清潔感のあるブラウンのセットアップスーツ。高級な服屋のマネキンに血が通ったような人物だった。
「やぁ」
 男性は春にぴったりの爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「おはよう」
 一石教授がのんびりと答え、三澄は黙ったままうなずいた。
 男性の視線が俺に向いた。
「きみがアラーム役の学生さんか」
 楽しげに笑いながら男性が言った。
「まだ内容は話してないんだ。装置を起動してからと思って」
「あぁ」
 男性は一石教授にうなずきを返してから、俺に右手を差し出した。
「二階堂泰志たいしです。一石研のお金周りの管理をしてる。あと、世間との窓口役かな」
「万里部です。学部四年の」
 そう答えて二階堂と名乗った男性と握手する。
「万里部くんか、よろしく。先生、NDAに署名はもらいましたか?」
「あぁ、もらったよ」
 一石教授はさっきしまった機密保持契約書なる紙を二階堂さんに渡した。二階堂さんは署名を検\_rあらた\/めてから俺に微笑みかけた。
「万里部鉱くん。はは、マリブコークみたいな名前だ」
「あ、そうだそうだ。マリブコーク。それだそれだ」
 一石教授が手を叩きながら言った。
 三澄は建物の入り口にあるカメラのレンズに顔を近づけた。小さな赤いランプが緑に変わる。三澄はさっさと中に入っていった。
 一石教授は俺に耳打ちするように言った。
「画期的な科学実験をしている場所には見えないだろう?」
 そのとおりだった。JR田端駅の改札を出たときから目についてはいた。なにしろ改札から目と鼻の先だ。それは違和感なく街に馴染んでいた。むしろ、街の賑わいのバロメーターにもなっているような、どこにでもある施設だ。俺も建物の存在を認識してはいた。
「パチンコ…?」
「の、跡地だ」
「え、ここでやるんですか。その、大事な実験を?」
 一石教授は楽しげにうなずいて中に入っていった。二階堂さんはドアマンのように俺を先に促してくれた。
 建物の中にもパチンコ店の名残があった。だだっ広い空間には背中合わせの回転椅子がずらりと並び、その前に空っぽになった台枠だけが残っている。ガラス張りの窓はすべてブラインドで目隠しされていた。
「万が一、中を覗かれてもパチンコ店の跡地にしか見えないだろ? 電子機器はここに」
 入り口の左手すぐにあるナンバーロック式の小型ロッカーを指差して一石教授が言った。言われたとおりにスマートフォンを入れる。
 その横には縦長のロッカーがいくつか並んでいた。ロングコートがそのまま掛けられる衣服用ロッカーだ。このロッカーもパチンコ店の名残だろうか。
「万里部くん、上着持ってないよね」
 一石教授はそう言いながらロッカーの一つを開き、フリース素材の上着を取り出した。
「下は結構冷える。着ておいたほうがいいよ」
 三澄も二階堂さんも、自分用と思われるロッカーから上着を取り出して羽織ってから地下に向かっていった。
 階段をおりると確かに寒かった。秋の屋外のようだ。
 半地下になっているフロアは全面、光沢のある白い素材になっていて、大きな装置がたくさん並んでいる。
 グリッド線がひかれた空間の真ん中には透明な細い柱が立っている。俺の目線と同じくらいの高さだった。先端まで同じ太さのつららが床から生えているようだ。その円柱の周囲を、それよりも少し低い四つの金属の板が取り囲んでいる。分厚い板にはそれぞれ規則正しく無数の穴が空いていて、一つ一つの裏から二本の配線が伸びていた。
「これが―」
 未来との通信機、と言っていたか。
「金属板の穴はレーザーの射出口だ。高出力のレーザーダイオードモジュールが埋め込んである。合計で一万個のレーザーダイオードモジュールだ。起動すると、全\_rすべ\/てのモジュールが中央のガラスの円柱をめがけてレーザー光線を射出し、それが光のリングを作る。非常に小さなリングだ。それを縦に積み重ねて光の筒を作ると、閉じた時間のループが生まれる。現在と未来の時間軸がつながるんだ。こんなに寒いのは装置の熱を冷ますため」
 一石教授は詩でも読んでいるみたいに言った。
「生きているうちに見られるとは思ってなかった。さすがだね、すい
 二階堂さんが装置を眺めながら言った。
「感傷に浸るのは早いわよ泰兄。起動はこれから」
 三澄は二階堂さんを、たいにいと呼んだ。泰志兄さんで、たいにいか。
 一石教授がポンと手を叩いた。
「あぁそれからもうひとつ。このフロアは禁煙だ、残念ながら。レーザーの調整が狂うからね」
「万里部くん、煙草吸うの?」
 二階堂さんの質問に首を振る。
「じゃあ喫煙者は先生だけですよ」
 二階堂さんが笑って言った。一石教授は白髪を撫でながら、参ったね、と呟いた。
 三澄はモニターの付いたコンピュータの前に座ってキーボードを叩いている。
「検証用乱数送付設定、受信者生体認証設定も完了してます。いつでもいけますよ、先生」
「もったいぶることもないか、起動してみよう」
 三澄はうなずいてキーを叩こうとして、動きを止めてから言った。
「起動のキーは先生が」
「なにを言ってるんだ。最大の功労者は三澄くんだよ。私の仕事道具は紙とペンだ。これはきみの仕事だよ」
 一石教授の言葉に二階堂さんもうなずく。
 三澄は照れくさそうに微笑んだ。
 彼女の怒りが少しだけ―本当に少しだけ理解できた。この地下フロアにある大がかりな装置の建設に、一体どれだけの労力と時間がかかっただろう。だいたい、なにをどうすれば駅前のパチンコ店の跡地を買い取れるんだ? 想像のしようもない労力の果て、結実の日にひょっこり現れたのが、俺というわけか。