借金に追われ丸腰の素人がいきなり脚本執筆――緒乃ワサビという人気ゲーム脚本家を育てた生存戦略

『天才少女は重力場で踊る』刊行記念特集

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 天才×美少女×タイムパラドックス×暴走する量子=世界を揺るがす青春小説&ちょっとミステリ
と、その筋の人にはたまらない要素天こ盛りの惹句で発売された、『天才少女は重力場で踊る』。

 著者の緒乃ワサビ氏は、Laplacianというゲーム制作会社の代表で、代表作『白昼夢の青写真』は、その重層的な物語構造だけでなく、ビジュアル、サウンド、演技など、すべてにおいて狂気のごとき作り込みと完成度で、ユーザーの度肝を抜いてきた。
 ノベルゲームの世界では既に知られた存在であるが、小説家としてはこれがデビュー作となる。
 デビュー作の発売を記念して、小説からゲームまで語り尽くした著者インタビューを、3回に分けて大ボリュームでお届けする。

聞き手・新井久幸(担当編集者)

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ルーツ・オブ・緒乃ワサビ

天才少女は重力場で踊る

天才少女は重力場で踊る

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―今度は、創作事始め、ルーツ・オブ・緒乃ワサビ、みたいなところを、聞いていきたいと思います。そもそも、創作を志したきっかけは、何でしょうか。

 影響を受けたということでいえば、真っ先に思い浮かんだのは、マイク・オールドフィールドというイギリスのミュージシャンです。『エクソシスト』のテーマを作った人、と言ったら、ピンと来る人も多いかもしれません。
 今みたいにコンピューターで作曲なんかできない時代に、全部の楽器を自分で演奏してテープに何重にも録音して作った曲なんですよ。それを全くの無名だった19歳の青年がやってのけた。一人で何かを突き詰めて作る、ということに対して、強い憧れを感じました。

―今でも、やはり強い影響下にあると感じますか?

 病的とも言える突き詰め方は、自分の物作りの指標となっていると思います。
 彼のデビューアルバムには、冒頭のキャッチーさ、一つ一つのフレーズの洗練具合、緻密な全体構成に、メロディーを使った伏線回収みたいな仕掛けとか、自分の好きな創作物の要素が、全部入っている。

―音楽の世界以外では、そういう人はいますか?

 自分でも創作を始めてから好きになったのは、伊丹いたみ十三じゅうぞうです。ああいう、高水準でなんでもできちゃう人が好きなんですよね。マイク・オールドフィールドは、楽器をなんでもできちゃう。伊丹十三は、役者で、映画監督で、シナリオを書いてもエッセイを書いても上手い。こだわりも凄くて、役者の立ち位置も、ミリ単位で指定していたって話を聞いたことがあります。職業として創作をする身として、凄まじく尊敬しています。
 小説ってすごい、という感覚を初めて味わった作品は、村上春樹の『海辺のカフカ』です。母親が村上春樹が好きだったので、家にあったのを、小学生の頃に読みました。一言で説明できるような物語ではないし、小学生にはよくわからないことも多かったんですけど、それでも面白かったんですよね。よくわからないのに面白い。小説ってすごいかも、と思った原体験です。

なりたかったのは、社長と小説家

緒乃ワサビ氏
緒乃ワサビ氏

―そういった原体験をもとに、最初にシナリオなり小説なりを書いたのはいつですか?

 それはもうはっきりしていて、2016年の『キミトユメミシ』ですね。

―それが最初なんですね。

 本格的に「自分の作品」として書いたのは、Laplacianとしてデビューしてからです。同人活動もしたことのない、丸腰の素人の状態で書き始めました。

―『キミトユメミシ』だって、かなりのテキスト量があると思いますが、あれをいきなり書けると思っていたんですか。不安はなかったですか。

 不安を感じる余裕もなかったというのが実際のところですね。『キミトユメミシ』の制作を始める前の自社企画で多額の借金を背負ってしまったので、このままだと会社ヤベえぞ、という状態でしたから。こうなったら自分で書くしかないよな、と。そこまで追い込まれて、やっとシナリオというものを書き始めました。見よう見まねで書いてみたものを最初、妻に読んでもらって、「面白い」と言ってもらえたのは、嬉しかったですね。
 社長と小説家、というのが子供の頃からの夢だったので、いつかは小説を書きたいとは思っていたんですよ。いきなりは書けないだろうけど、書いてみないことには話にならないから、とにかく書いてみよう、と。

―社長と小説家、が夢ですか。小説家は、具体的なイメージがありますけど、社長は割と、捉え方としては漠然としてますね。

 社長ってなんか偉い人ってイメージで、なんでもいいから社長になりたい、くらいの子供特有の無邪気な夢ですね。

―学生時代に起業されてますが、なぜ起業しようと考えたのですか?

 学生のころ、ベンチャー企業でインターンしていたことがあって、起業家に取材してインタビュー記事を掲載するサイトを作りました。自分で取材したのは30人くらいでしたが、お会いした起業家は、100~150人くらいになります。

Laplacianの生存戦略

『白昼夢の青写真 コレクターズ・ボックス』ジャケット
『白昼夢の青写真 コレクターズ・ボックス』ジャケット

―そのとき、何か思うところがあったんですか。

 自分は理系なんですけど、このインターンをしていた2年生のころ、もう学部で卒業して就職しようとは決めていたんです。なので、就活のフライング、みたいな狙いもあって始めたんですが、話を聞いてるうちに、「自分の生き方としては、経営者の方に適性があるんじゃないか」と思えてきたんです。
 会社に入って、組織の中で色んな人と上手くやっていくという、自分で環境を選べないギャンブルよりは、自分で会社をやる方が、何かあっても諦めがつくんじゃないか、と。
 でも、起業してから干支えとが一周した今になって振り返ると、結局は恐怖に突き動かされたんだと思います。就職活動という枠の中で、年齢も、親の年収も似たような人と並ばされて、自分の個性が埋もれてしまうことに対する恐怖が凄くあった。本当に自分の個性に自信があれば、逆にそこに飛び込んでいけると思うんですが、自分の個性なんて、同じようなリクルートスーツを着せられるだけで消し飛ぶような脆いものだという自覚があった。だから、競技人口が少ない方を選んだんです。選ぶだけで個性になるから。
 そして今でも変わらず、その生存戦略でやっている。理系のことが書ける小説家は少ないだろう、というのもそうですね。弱者戦略、みたいなものです。

―強弱はともかく、自分の武器で闘うのは、まっとうな戦略ですよね。

 当初は、創業そのものが目的化していたので、すごくぼんやりした会社でした。当然、周りの人たちは「なんの会社なの?」と首をひねっていたし、その中心で自分も一緒になって「なんの会社なんでしょうね?」と首をひねっていた。そんな状況から、後追いでイラスト制作という事業がなんとなく始まって、イラストを書きたい学生を色んな大学から集めて、企業からイラスト制作を受注し、品質管理をして納品する、という仕事が始まりました。
 そのころ、入って来てくれたのがイラストレーターの霜降ですね。
 ソシャゲバブルだったこともあって、仕事は結構あったんですが、結局は他社さんの作品だし、月次の受注数も自分たちではコントロールできない。なにより「自分たちの作品です」と言えるものが作りたいよね、ということで、ゲーム制作を始めました。

―そのときに考えていた戦略というのが、マクロな視点としても、ミクロな行動としても、凄いんですよね。

 スタート時にぼんやりしていた反動かもしれないですね。ゆくゆくは作品を作る側の会社になりたいけど、創業時点では具体的に何をすればいいのか見当も付かなかった。下請け会社としてイラスト制作を担当したり、勢いだけで開発に乗り出した企画で借金を抱えたりしながら、だんだんと自分なりの戦略の立て方が見えてきて、Laplacianを立ち上げる時には青写真を描いたんです。
 まず、いきなり超一流のものは作れないから、応援してもらう雰囲気を作らないといけない。素人がゲーム作りを始めるわけですから、歴戦のプロに敵うわけがない。だから、中の人を応援してもらう文化背景のブランドにしようと思いました。極端に言えば、子供の運動会に夢中になるような状況を作ろうと。そのために、素人集団である自分達の開発プロセスをなるべく可視化していきました。どんなことを考えて企画を立てて、どういう成果物を出したのか。それにどういう感想が届き、その声に何を感じて、次の作品にいく過程でどんなふうに成長していくのか。そういう赤裸々な内情を、公式サイトや動画チャンネルでバンバン出していったんです。それが結局、内製メンバーの名前を覚えてもらうことに繋がったし、中心メンバーが安定していることで、Laplacianの作品に信頼を寄せてもらえることにも繋がった。
 今も、有料のコラムは毎日更新して、日々の進捗状況を報告しています。「今日も書けませんでした」みたいなことも、はっきり書いているし、この小説の企画段階はもちろん「こんな編集者さんと会えることになった!」なんてことも嬉々として書いていました。

―そういった流れで作品を発表し、4作目が『白昼夢の青写真』になります。「妥協しないで作りきる」というのが、根本にあったそうですね。

 商業作品だから当然なんですが、手を止める最大の理由って、やっぱり時間切れなんですよ。1作目、2作目、3作目と、納期で手を止めざるを得なかった。だから、4作目は、それはしないことに決めたんです。
 2作目は、『ニュートンと林檎の樹』という、ニュートンが万有引力の法則を思い付く瞬間に林檎の樹を燃やしてしまうという話。3作目は、人工の鳩、生体ドローンが通信網になっていて、それが逆に電波を食って通信網がダウンするという『未来ラジオと人工鳩』。どっちも、ネタとしては凄く気に入っていたんですが、自分の書き手としての力量不足で、ポテンシャルを出し切れなかったという思いが強く残っていて。
 だから、何の悔いも残らない作品を一回作ってみたい、と思ったんです。

―実際はどうでしたか。

 悔いの残らない仕事ができたと思っています。音声の収録台本を送る前日まで、シナリオを書き換えていた部分があるんですよ。それもかなり大幅に。テキスト部分のチェックをお願いしていた人から、「ここは現実感がないから、もうちょっと補足した方がいいんじゃないか」という指摘をもらったのが、台本発送の前日。あと50枚書けば、作品がより強固になることが分かっている。そこで手を止めずに、前日にまるまる一章加筆できたときが、「最初に決めたことを、ちゃんと具現化できたな」と思えた瞬間です。

スタートはカウンセリング

―お話は、どんなふうに作っていったんですか。

 どんな物語にしようかと考える前に、自分のことをLaplacianのみんなに聞いてもらいました。自分という人間が、幼少期から今に至るまで、どういうことに腹を立てたか、今でも許せないことはどんなことか、こういう人が嫌いで、こういう人が好き、どんな人と恋愛して、今その人に対してどういう感情を抱いているか、そういったことを数ヶ月かけて延々とみんなに聞いてもらいました。
 作り手としての自分のメンタルが一段階強固にならないと、思い描いている理想には届かないだろうと思っていたので。さらけ出すことの恐怖をなくすためのカウンセリングみたいなものでしょうか。
 やってみて思ったのは、個人的なことを突き詰めると、意外なことに、誰にでも伝わる抽象的な本質に辿り着く、ということですね。極めて個人的なイベントだと思っていたことでも、その時の感情を言語化し続けていくと、みんなが共感できる一般的な概念に辿り着いた、みたいなことが沢山ありました。

―サイトのコラムページでもそんなことが書いてありましたし、そもそもあのコラム、文字量が尋常じゃないですよね。

 こういったプロセスを経てできた作品なんで、みんな、語ることが尽きないくらいのエピソードを持ってるんだと思います。
 ああいうサイトを作るときに心がけているのは、入り口はなるべく文字量を減らして入りやすくする、そして一度入ってくれたら、それは興味を持ってくれている人たちだから、文字量は多ければ多いほど喜んでくれる、という設計ですね。ビジュアルノベルという、大量の文字を読むのが好きなユーザーさんですから。

―じゃあ、このインタビューも文字量で勝負しないと。体験版のプロモーションも、ちょっと変わった施策でしたね。

『白昼夢の青写真』は、CASE-1、CASE-2、CASE-3と、別々のお話があるのですが、それらの発生順をランダムにして、ユーザーさんがスクショを上げたとき、「あれ、自分のスクショは、他の人のと全然違うぞ」となったら面白いかな、と。そういうプロモーション的なたくらみは、物語の構造を組み立てながら同時進行で考えています。
 発表当初のユーザーさんの反応は期待していた状況にかなり近かったのですが、予想が外れた部分もありました。書き手の自分としては、この作品の構造、ミステリー的なネタは体験版の時点でかなりの人にバレると思っていたんですよ。「これって、こういうことでしょ」と、みんな予想できちゃうんじゃないかな、と。

―いや、まったく予想できないですよ。

 こっちは逆算で作ってるから、そのへんの感覚が違ったんでしょうね。記憶を消してもう一回やりたいとか、そういう評判があって、嬉しかったですね。ミステリー的な構造が上手くハマったんですよね。

―これはネタに関わるから具体的には言えないんですが、前に「伏線」について話していたときに、『白昼夢』における伏線の考え方を聞いて、「すげえな」とびっくりしたんですよね。そんなこと考えてたのか、ということとか、それを本当にやっちゃうんだ、とか。

 みんな思い付くとは思うんですよ。大変だからやらないだけで。それを、自分が思い描いていたかなりの精度で実現できたのが良かったんでしょうね。しっかりハマって、ユーザーさんにもちゃんと面白いと思ってもらえました。

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