とにかく目を引く素晴らしい共演者たち

 他の役者さんはどうだったかと言えば、義男役の橋爪功はしづめいさおさんは、普段悪態ばかりついていらっしゃって、たびたび監督と嫌味いやみ応酬おうしゅうをなさったりするんですけれど(笑)、カメラが回るとつと、悲しみに満ちた表情をされる。普段はすごく洗練された、おしゃれな方なのですが、お豆腐屋さんを演じられているときの背中の丸みや顔の筋肉が下がった感じは、まさに市井しせいの人そのものでした。ある時橋爪さんが、「カメラに映らないようにしてる」とおっしゃっていたのですが、そのスタンスこそ、市井人を演じる一番の秘訣だったんだと思います。
 刑事役の岸部一徳きしべいっとくさんも抑制の効いたお芝居で、橋爪さん同様主張しすぎることなくただそこにたたずんでいらっしゃって、その姿がとても目を引くんです。ああいう境地にいつか達したいなあと思いますね。
 滋子の夫を演じた杉本哲太すぎもとてったさんとのシーンは、本当にわずかでしたけれども、夫婦であることをしっかりと感じさせてくださって素晴らしかったです。杉本さんご自身はきっと素晴らしい奥様がいらっしゃって普段お料理やお洗濯をすることもないんだろうなあと邪推じゃすいしていますが、そんな方が一生懸命家事をなさる姿になんというか、胸がきゅんとしましたね(笑)。杉本さんとのシーンはとにかく、「普通に普通に」、と心がけました。和明役の満島真之介みつしましんのすけさんが本当に悲痛な心の叫びを表現されていたので。

宮部先生の強靱なモラル

 小説を書くというのはゼロから世界を作り上げる作業ですよね。とにかくそれが物凄いことだと思います。私は、普段はエッセイなどを書くことが多いのですが、何かしらソースがないと書けないので。宮部先生のように、全く無の状態からものを生み出す原動力は一体どこにあるのでしょう。
 風を肌で感じられるような描写の細かさ、想像力を喚起させる文章。ここは飛ばしてしまってもいいのでは、と思えるシーンも克明に描いてくださるので、作品の世界にどっぷり浸れます。人の悪意をごまかさずに、緻密に書いていらっしゃるのも印象的です。思うのですが、あれだけの悪意を書ききれるということは、宮部先生はもの凄くモラリストなのではないでしょうか。強靱きょうじんな、しっかりとした基準モラルがないと、書かれているうちに、きっとどこかで揺れ動いてしまうと思うのですが。
 『模倣犯』は、ピースと和明の関係に本当に切ないものがあって、決して犯人に同情するわけではないけど思わず憐憫れんびんの情を抱かずにはいられない描き方に胸を打たれました。ボイスチェンジャーのトリックは今作によって皆の知るところとなりましたけど、当時は本当に衝撃的で。作品を描かれる際は普段から詳細なご取材をなさっているんでしょうか。よくぞここまでお調べになったと思いました。
 しかも、そうしてゼロから作品を作り上げられているにもかかわらず、宮部さんの小説は文章に全くエゴが感じられないところがとても好きなんです。宮部さんという個人が見えないというか。書いてるとどうしても功名心のようなものが働いて、自己表現したくなりますよね。対して滋子の場合、エゴもまだ確立されていない、未熟も未熟な状態で、ピースを追いかけながらも自分というものがあやふやなまま仕事をしていました。きっと現実に、そういう書き手もたくさんいると思います。
 以前、ある作家さんに、「感情移入すると一文字も書けなくなるから、物語を俯瞰ふかんするイメージで書いている」と伺ったことがありますが、一方で、宮部さんは物語に埋没してご自分を見失ったりだとか、そういうこともないように思います。文章全体がとてもテクニカルで、客観的というか。大変なプロフェッショナルなんだ、と。

畏怖の念を抱かざるをえない

 そして、作家というお仕事を30年も続けていらっしゃることは、私には想像もできなくて…。こんなにも長い時間こんこんと湧き出る泉が、ソースがあるということにも、それをアウトプットし続けるということにも、畏怖いふの念を抱かざるをえません。
 役者というのは人様の言葉あってのお仕事で、決して自分たちがゼロからものを生み出しているわけではないんです。脚本があって、監督がいらして、スタッフの皆さんが全てお膳立てしてくださった上で、一番気持ちいい状態で演技をさせていただいています。
 30年間、荒野を開拓するようにして紡がれた宮部先生の言葉の数々は、人々の生活を豊かにしたり、苦しみを浄化したり、きっと多くの方々の人生を変えてきたのだと思います。一本の筆から生まれたフィクションの世界が、現実世界にこれほど大きな影響を及ぼすということは、本当に、奇跡のようなことですよね。そういったお仕事を30年間も積み上げてこられたこと、そしてこれからも書き続けていかれるということに、とにかく深い敬意を表したいと思います。

文はやりたし

文はやりたし

  • ネット書店で購入する

中谷美紀(なかたに・みき)

1993年、女優デビュー。2006年、映画『嫌われ松子の一生』で第30回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞2009年、映画『ゼロの焦点』で第33回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。テレビ、映画、舞台で活躍する傍ら、文芸誌での執筆活動も注目を集めている。
現在、フジテレビ系月曜21時連続ドラマ「ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~」トリプル主演で出演中。最新刊『文はやりたし』は、幻冬舎文庫より発売中。
2023年12月13日「フィルハーモニクスwith中谷美紀 カーニバル(謝肉祭)」(東京オペラシティコンサートホール)に出演予定。