あの日、中村吉右衛門のおじさんのお芝居を見て
子役の頃って、ひと月の舞台が終わると、たくさんご褒美をもらえるんです。だから頑張れる部分もあるかもしれませんが、何より楽屋にいると色々な方が可愛がってくださって楽しくて。しかし高校入学後、大人のお役がつくようになり、あらゆる面で厳しく扱われるようになっても、まだ歌舞伎に思い入れが生まれなかった当時の僕の転機は、師匠である二世中村吉右衛門のおじさんのお芝居を間近で拝見した時に訪れました。
あの日、中村吉右衛門のおじさんのお芝居を見て、歌舞伎って素晴らしいと思うようになったんです。
その演目を思い出せないほどの衝撃で、吉右衛門のおじさんの歌舞伎、ひとつの役に全てを捧げる姿勢と力がとてつもなく美しくて強くて……。ただただこういう人になりたい、こういう俳優さんになりたいと恋焦がれました。歌舞伎俳優人生で、一番幸せな出来事かもしれません。
よく我々播磨屋の芸とは何ですかと聞かれますが、具体的に何というのはすごく難しいです。
吉右衛門のおじさんの偉大さは、役の作り方。その役の光と影を表現するために、他の役者さんなら掘らないほど深く人物を洞察される。確固たる技術の上に、ご自身とお役の感情を合わせた台詞廻しです。身体表現でも、些細な手先の指の動きまで使って演じていらっしゃいましたね。僕は指の所作が悪い、手がぶらぶらしているとよく怒られました。
褒められたことなんて、ありません。もちろん歌舞伎界全体がそういう文化ではなく、それぞれの家系の伝統があると思いますが、吉右衛門のおじさんは褒めません。だから、それが当然だと思っています。
叱られることがすごくうれしかったんです。僕のためにおじさんが仰ってくださる言葉は、全て僕への教えなので、ひとつひとつ全てが僕の財産です。あれほど貴重な経験は他にはなく、おじさんに聞きたかったことをもっと聞いておけばよかったという後悔はあります。
吉右衛門のおじさんという師匠が亡くなったことを、まだ整理できていません。
今も客席のどこかで観ていらっしゃるはずだと、おじさんにご指摘いただいたところを注意しながら毎日勤めていますが、怒ってくださる人がいない辛さは他では埋められないほど大きくて。だからこそ、毎日努力をするのは、当たり前です。それしか、ありませんから。