ブランクを埋めるため! 兄と始めた「双蝶会」と自ら立ち上げた「踊りの会」。

 朗読は新たなチャレンジでしたが、僕が最近挑戦したことは、2021年の「踊りの会」です。舞踊演目3題を勤める初の単独主催でした。
 それまでは兄の中村歌昇とともに勉強会「双蝶会」を開催してきましたが、自分ひとりで、自発的に公演を主催したのは初めてでした。『子守』の子守お種、『まかしょ』願人坊主、そして『春興鏡獅子』の小姓弥生後に獅子の精は、どれも初役での挑戦となる演目選び、席のお値段、筋書など、責任をもって、公演のあらゆることを決めました。双蝶会にも共通することですが、チラシもデザイナーさんにイメージをお伝えして、デザインラフでこの文字はもう少し小さくなど指定して。その後、歌舞伎座の本興行のチラシを見た時、色々な気遣いをもって作られているんだなぁとしみじみしたものです。たくさんのことを学び、何より、色々な人に色々と教えていただいたので、その繋がりがありがたかったですね。
 そもそもなぜ兄と勉強会を始めたかというと、僕は中学高校と歌舞伎の世界から離れていたので、そのブランクを埋めるためでした。基本的に歌舞伎役者は成長期になると、声変わりがあり、身長的にも子役も大人の役もうまくあてはまらないなどの理由で役がつかなくなります。それでも、皆、出演し続けますが、僕はまるっきり辞めていました。
 中学生の頃は、お稽古ごとも一切やらず、サッカー部に所属する普通の学生でした。兄がいるので、将来は歌舞伎役者になろうと決めていたわけではないどころか、歌舞伎だけはやりたくなかった。その感情は僕の身体中から滲み出ていたと思いますが、両親から「歌舞伎をやりなさい」と言われなかったので、感謝しています。
 高校から、日本舞踊のお稽古には復帰しました。師匠は、僕のことを産まれた頃からご存じの藤間勘祖先生です。幼少時から踊りの会にも出させていただいていて、父(三代目中村又五郎)も懇意にさせて頂いている勘祖先生に「あなたは芝居の世界に戻りなさい」と言われたんです。自分の将来をここまで真剣に考えてくれている師匠がいることがありがたくて、この人の期待には応えなければならないと。高校を卒業して、歌舞伎の世界に、再び戻りました。その時、播磨屋一門の長、吉右衛門のおじさんに「とにかく死ぬ気でやれ。戻ってくるのが遅いから、死ぬ気でやれ」と言われました。
 それからは大人の役をいただくようになりましたが、どんどん自分の物足りなさというか、他の役者との差を痛感して、焦りました。歌舞伎座の改修工事もきっかけとなり、兄と僕も、自発的にアクションを起こさなければと、2015年に「双蝶会」を開催したのです。
 これからも自主公演は続けていくつもりです。コロナ禍以降、歌舞伎は東京でもいくつもの劇場で公演中止を余儀なくされました。上演できたとしても、役者同士のコロナ感染予防のため、部をまたいだ出演が叶わなかった時期もあったので、ひと月で勉強して挑戦できるお役は少なくなりました。これからも勉強したかったら、自発的に動かなければならない、そう思っています。