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 授業もはじまって先生という電話相手を見つけ、一時期の鬱状態からは抜けだした夏生だったけれど、次の困難が待っていた。
 友達がまったくできないことだ。
 授業開始から2週間。毎日Zoomで授業を受けていても、たいていの講義は教授がひとりでしゃべっているだけ。グループワークがあっても、パソコン越しの相手とすぐに友達になるなんて難しい話だった。大学で出会いがないならとバイトに応募してみたりもしたが、緊急事態宣言が全国的に解除されたとはいえ、飲食店はどこも面接すらしてもらえなかった。近所のコンビニに面接に行っても「イマハ経験者ノ即戦力シカ取ル余裕ナイ」とタイ人のバイトリーダーに断られた。
 インスタのタイムラインにインカレサークルの新入生歓迎会の案内が流れてきたのは、6月頭のことだった。
 そのサークルは男女混合のテニスサークルで、典型的な飲みサーだった。オンライン社会において、飲みサーはどうなるか。オンライン飲みサーになる。よって、新歓は夕方からオンラインで敢行、各自酒を用意しろという参加案内がきた。
 昼寝をしてしまって、喉が渇いて目覚めた。天井に夕陽が差していた。進学を機に借りたアパートは飲み屋の上階にあった。新歓で代々使われていた店なのだと、以前、店の前でゲロを吐きながら酔っ払いのおじさんが教えてくれた。この店は個人店であることをいいことに自粛要請に従わない方針を貫いていた。毎日の「店閉めろ」の張り紙にも屈せず、深夜2時まで営業している。今日はまだ営業準備中らしく静かだ。
 新歓はZoomのブレイクアウトルーム機能を使って、オンライン上の個室のような場所に3人ずつ入り、そこで一定時間交流して、何度か人を入れ替えながら親睦を図る形式だった。
 シャッフルされながらZoom上で顔を合わせた先輩や同級生は、みんな仲良くなれそうにもない人たちだった。「あっ」と言葉の頭につけないと喋りだせないすき家でチーズ牛丼頼む系男子とか、「オィィィィイ! 飲みサーだって知ってたら来てねえよォォォォ!」って常にアニメキャラに酷似したツッコミをする平成オタク女子とか、「えっ、18にもなって処女なの?」と言ってくるノンデリカシー男とか。
 ブレイクアウトルームでシャッフルされた、最後のひとりが30歳で大学に入ったというジュンさんだった。割り振られた瞬間、もうひとりが無言で退出していったため、ふたりきりになる。彼の声は冴えない感じだった。
「ぼくも、もうこんな歳だけど、せっかく大学に入ったんだから青春やり直したいなって思ってたんだよ。でももう、コロナでぜんぶおじゃん。ほんとぼく、そういうところツイてなくて。あ、コレぼくの持ちネタだから遠慮なく笑ってね? ぼく、東大9浪したんだよね。ずっと模試ではA判定だったんだけど、当日電車の遅延とか時計忘れるとか、となりの席の人が突然つかみかかってくるとか…とにかく運がないんだよ、ぼく」
 彼は親に東大医学部を切望されて駿台予備校や河合塾を転々としながら9浪して、いまはW大学の政経1年生らしかった。大学はちがうけれど、コロナ入学世代同士シンパシーを感じる。実家が医者一家の彼はいま半分勘当されて、夏生より孤独らしかった。
「このサークル、その…個性的な人が集まってますよね?」
「言葉を選んだね。うん。インカレテニサーは乱交サークルになりがちでしょ? だからみんなインカレテニサーに入りたがるんだけど、顔面レベル高い女子と偏差値高い男子はもっと上のところ入るんだよ。セレクションがあるような。京大でいうATA、東大でいうサンフレンド。だから、こういうセレクもない飲みサーは治安が悪くなるわけ」
「詳しいですね…」
「兄貴がサンフレンドの部長だったんだよ」
 世間ではオンラインデートというものが流行っているらしかった。ビデオ通話をつないで、デートしている気分になるもの。オンライン飲み会、オンライン就活、オンラインサロン。世の中ではすべてがオンラインに置き換わっている。
「みんなよくついていけるなあと思います」
 夏生が漏らすと、彼は、
「みんながみんな、本当についていけてるのかな。ついていけない人もいるでしょ」
 と靴下を履きながら言った。彼の部屋は雑然としていて、インディーズバンドのポスターが壁一面に貼られていた。
「30にもなると突然Zoomだなんだって言われても頭が追いついていかないもん」
「そんなのわたしもそうです」
「夏生ちゃんはデジタルネイティブ世代でしょ」
「デジタルネイティブでもコロナ禍ははじめてですもん」
「そりゃそうだ」靴下を履き終えたジュンさんが顔を上げる。「コロナはみんなはじめて。だからこんな世界中大混乱」
「みんなも平気な顔して、Zoomとかclassroomとか、戸惑ってるんですかね」
…夏生ちゃんは、彼氏いるの?」
 首をひねった夏生と同じように首をひねったジュンさんは、唐突に聞いた。
「いないです。でも大谷翔平はいいなと思ってます」
「大谷かっこいいよね」
 彼が八重歯をむきだして笑う。犬みたいだった。
 深夜に終わったオンライン新歓のZoomを出た夏生は、すぐにインスタで「新歓ありがとうございました! #春からK大 #2020年度入学 #24卒 #新歓」と投稿して、いいねをくれた人に片っ端から「新入生さんですか??? ぜひ仲よくしたいです✨✨」とコピーアンドペーストでDMしまくった。何人か釣れた。処女か聞いてきた男の先輩から「おれ飲み会の幹事いっぱいやってるから、おれと仲良くしてると得だよ😄」とDMがきたけど、無視した。