極楽に至る忌門

極楽に至る忌門

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 結論から言うと、麗美は倉本さんにも声をかけていた。そして、歯のおまじないをさせた。デンタータ様とかいう神に祈らせて。
 倉本さんは、森の母親が金を送ってくるなんて、奇跡のようなことだと言った。母子家庭である倉本さんを心の底から馬鹿にしていて、ゴミだと思っているような人たちらしい。そんな人たちがこのタイミングで送金してくるなんて偶然とは思えない、だから麗美のおまじないは効くのだと。
「私、絶対に息子、取り返す」
 真剣なまなざしの彼女に、僕は「頑張って」と言うことしかできなかった。
 倉本さんはほぼ毎日、朝はコンビニで働いて、夜は繁華街のスナックで働いているらしい。昼間だったら家にいる、と教えてもらってから、僕は自転車を飛ばし、ショッピングモールに急いだ。なんとなく、麗美は今日もいる気がしたのだ。そして、それは間違っていなかった。
「どう? 倉本さんに歯はもらえたぁ?」
 僕が何から話そうか迷っているうちに、麗美の方から声をかけてくる。麗美は小さな花のついたカチューシャをして、水色のワンピースを着ていた。スニーカーではなく、ベルトのついた靴だ。ずいぶんおめかしをしているなと思ったが、直接指摘するのは気持ちが悪いだろうと思って言葉を呑み込む。
「んー。これぇ? 可愛いでしょぉ。お兄ちゃんと両想いになったのぉ。買ってもらったのぉ」
 心でも読んだかのように麗美は言った。思わず両想いって? と聞きそうになるのを堪える。ついつい、兄妹の禁断の愛などと下世話な妄想をしてしまうが、洋服を買ってもらうことを両想いと捉えるくらい、幼く可愛い恋心だ。憧れと区別がついていない。
「歯はもらってない。っていうか、倉本さんもおまじないをやってたんだな」
「んー。そうだよぉ。効果あったって言ってたでしょぉ」
「うん、すごいね」
 心からそう言うと、麗美は嬉しそうに笑った。
「今は、完全に信じてくれてる感じだねぇ」
「いや…うん、まあ」
「でもぉ、歯はもらえなかったんだ?」
「それは…」
「仕方ないなあ。じゃあ、一本だけ貸してあげるよぉ。私はお兄ちゃんと両想いになれたからね。おまわりさんも倉本さんと両想いになれるといいねぇ」
 麗美が渡してくれたものは、歯に見えた。しかし、人工的な光沢と手触りで、すぐに本物ではないと分かる。やはり、これは子供のおまじないなのだ。安心と落胆がないまぜになった感情が押し寄せる。
「どうしたのぉ? 早くいこうよ」
 麗美はエレベーターの方向を指さした。
 こうして僕は倉本さんと付き合えることになった。
 次の日、仕事が終わってから倉本さんの家に行き、ずっと好きでした、と告白した。倉本さんは少し驚いたような顔をしたあと、「嬉しい」と言った。
「でも、残念だな。もうすぐ、母が帰ってきちゃう」
「じゃあ、お母さんにも、ご挨拶を」
「駄目。話の通じるような人じゃないの」
 倉本さんは厳しい声で言ったあと、少しだけ顔を傾けて、
「ねえ、もしよかったらなんだけど、あなたの家に行ってもいい?」
「えっ…」
「やっぱり駄目かな」
「う、ううん! でも、ウチ、親いるよ? じいちゃんも」
「ご迷惑じゃなければ」
 僕は急いで母親に連絡をした。少し驚いていたけれど、女性の客だと言うと、僕の行く末を案じていた母は喜びを声ににじませた。
 帰宅すると寿司桶が二つ置いてあって、祖父が知り合いの寿司屋に行って急遽作ってもらったのだと言った。家族はみんな、僕が結婚相手を連れて来たのだと思い込んでいるようだった。
「倉本さん、末永く、息子をよろしくね」
 僕は慌てて誤解を解こうとしたけれど、倉本さんは嬉しそうに頷いた。だからきっと、勘違いではないのだ、倉本さんは僕との将来を真剣に考えてくれているのだと思った。
 寿司を食べた後、自分の部屋に行ったとき、なんとなくいい雰囲気かもしれないと思って、勇気を出して手を握ってみた。倉本さんはやっぱり嫌がらなくて、手を握り返してくれた。もしかしていけるかもしれない、と思って、目を閉じて顔を近付ける。すると、おでこに柔らかいものが当たった。恐る恐る目を開けると、倉本さんが指の腹で、僕の額を押しとどめていた。
「ご、ごめん…」
「ううん、気持ち、嬉しい」
 倉本さんはでもね、と言葉を続ける。
「覚悟が必要なの。だから、まだ…」
 僕は頷くしかなかった。倉本さんはきっと、僕よりもずっと真剣なのだ。麗美の占いを心の拠り所にしている。僕にできるのは、文句を言わず見守ることだ。
 明日一緒に麗美に会いに行く約束をして、その日は帰ってもらった。父が車で送り届けることになった。少し情けない。僕も免許を取りたいと思った。
「また、明日ね」
 倉本さんは小さく手を振った。えくぼが可愛かった。

(つづく)
※第三回は、明日8月11日(日)正午公開予定です。