さよなら世界の終わり

さよなら世界の終わり

  • ネット書店で購入する

  *

 幼稚園に通い出した頃、僕は一人で眠るようにと言われました。あの夜を今でも覚えています。寝室で、なんて心細いんだろう、と感じました。こんな寂しさをこれから一生感じ続けないといけないなんて耐えられない、と。
 結局、僕は一人で眠ることが出来ず、それからも随分長い間、あなたと一緒に眠ることを許されましたね。

 実は僕は大人になった今でも、一人で眠るのが怖いときが多々あります。だからあまりうまく眠れません。隣に誰か人がいれば眠れるものの、一人では今でも眠るのは少し難しく、近頃は弱めの睡眠薬を一錠飲む時もあります。そういえばあなたも不眠症気味でした。

 幼稚園の頃、あなたの母親である、僕の祖母が死にました。うちでは体型を理由に、母方の祖母を“小さいおばあちゃん”、父方の祖母を“大きいおばあちゃん”と呼んでいました。あのとき、僕は幼稚園の先生から小さいおばあちゃんが死んだと聞かされて家に帰りました。小さいおばあちゃんは、枕にうつ伏せで寝ていたところ、窒息死したということでしたね。小さいおばあちゃんは優しい人で、苦労人で、芸術が好きな人でした。もし僕が作家になったことを知ったら一番喜んでくれるのは彼女だったかもしれないですね。

 さて、僕は幼稚園に入り、ボーイスカウトに通い、ピアノを習いつつ、小学校受験のため塾に通い始めましたね。模試では謎に一位を取ったりしつつ、基本的には相変わらずの問題児で、他人に迷惑をかけてばかりでした。そういえば、習字教室は一日でクビでした。僕は今でも字が汚いままです。
 僕は天才になることに憧れていたので、天才は字が汚いケースが多かったという事例を聞くに及び、まずは形から入ろうと、あえて汚く字を殴り書きしていたようなところがあります。別に、字を汚く書けば天才になれると思ったわけではないのですが。
 そういえば、あなたは時折、本当はもっと普通の子供がよかった、と愚痴っていたような気がします。
 僕は今も、頭を掻きむしったり、落ち着きなく体を揺らして、時折、目を瞑ったりしながら、文章を書き続けています。
 非常に鬱陶しいでしょう?
 僕も、もっと落ち着きがある人間になりたかったのですが、じっと座っているのは今でも非常に難しいです。
 まあ、こういうことは、あまり、自分では、選べないことなのかもしれません。
 人は自分が生まれてきたいと願う形ではこの世に生まれてくることが出来ないものなので。

 小学校受験の塾の先生はいい先生でしたね。S先生は社会科見学と言って色んなところに連れていってくれる不思議な先生でした。ガラス工芸で僕が作ったなんとも言えない謎の平べったいガラスのオブジェ、およそ三十年後に、作家になってからのサイン会で、S先生の生徒だというお子さんが僕に持ってきてくれました。S先生からのプレゼントだということで、ペーパーウェイトとして使ってくださいとのことでした。確かにゲラを確認するときに使えなくもないなというもので、人生の伏線を回収してしまいましたね。S先生は子供の勉強に対するモチベーションを喚起するのが上手で、いつも勉強するのが楽しかった。僕はS先生の塾を卒業してから、勉強を楽しいと思ったことはあまりありません。

 いやいや、こう振り返ってみると、僕たちの人生は愉快なことばかりだったような気もしますね。

 うちの父はD中学に入って欲しいという意向を持っていました。Dは大学、高校、中学、幼稚園と系列校があり、当時はまだ小学校がなかった。なので、小学校受験をするなら別の小学校を受ける必要がある。D中学はキリスト教系の学校なので、出来れば小学校もキリスト教にした方がいいのではないか、という意向があったと記憶しています。なので僕の第一志望はカトリック系のS小学校でしたが、他に教育大学付属の小学校と、もう一つキリスト教系の小学校を受ける予定でした。教育大学付属の小学校は今でもそうかと思うのですが試験通過後に抽選という謎システムがあり、落ちましたね。それで本命のS小学校の面接で、僕が足を延々ぶらぶらぶらぶらぶらぶらと揺らし続けたことであなたは激怒していました。親と子供が一緒に面接を受けるのも大変でしたね。お疲れ様でした。そんな体たらくでしたが、何故か合格しており、僕はS小学校に進学したのでした。入学式では隣の子が模試で僕の名前を知っていて「あの佐野くんか。よろしく」と言われ、なんか気持ち悪い世界だなと思った記憶があります。

 次回は小学校時代の思い出話でも書きますね。

  *

 肌寒くなってきました。
 生きるのは大変ですが、僕はなんとか頑張っています。
 この手紙が掲載される頃には、新作の小説が発売されているでしょう。
 来月も、たくさん言葉を書きます。
 そのうち本当に実家に帰りますね。
 どうかお元気で。

  *

敬具

カリフォルニアから愛を込めて

息子より

(つづく)
本連載は不定期連載です。

透明になれなかった僕たちのために

透明になれなかった僕たちのために

  • ネット書店で購入する