ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2022/04/18

「弱い人たちは、かなわない夢を見る」 元タカラジェンヌが熱く語る、少女漫画の金字塔『ポーの一族』の素晴らしさ

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忘れられる者の孤独

 人が少年と少女でいられる期間は、本来はとても短い。彼らが大人びていくのはあっというまだから、少年の姿から変化しないエドガーは、ことさら奇異な存在なのだ。もしも彼がもう少し年長の姿であったなら、その孤独感は随分と違ったものになっていただろう。さらに、バンパネラとして特別に濃い血を持つエドガーは、仲間であるポーの一族の中でも特別視 されている。姿と心の隔たりから歪んでいくエドガーの心は、たびたび残酷な言動に表れる。そんな彼が一心に愛する人が、妹のメリーベルだ。

 バンパネラとして生きる彼は、メリーベルを手離してその無事を祈り続ける。そして彼女に悟られないよう、自らの存在を隠して見守り続けていた。

〈それでも いつもいつも メリーベル 妹よ――〉

 思いもよらぬ運命を背負ったエドガーにとって、メリーベルは唯一守りたい存在だった。彼女を失った後も、エドガーはその面影を求め永い時を彷徨い続ける。

〈きみは幸せにおなり だれにうしろ指をさされることも 恐れられることもなく だれよりも幸せにおなり 陽だまり 花の香 笑い 夢こそ きみにはなによりふさわしい 〉

 エドガーが思い悩む時、涙を流す時、それは決まって「忘れる」ことに関係する出来事がある。限られた時間を生きる人間は、年月を重ねるうちに過去を忘れていく。出会った人たちがやがて自分を忘れ去っても、エドガーは変わらずに生き続けなくてはならない。

 人間とは違う時間軸で生きるエドガーたちは、親しい人との別れには慣れきっている。だが、何百年も生きて、人間の短い一生など超越している彼なのに、「忘れられる」ことに本当には慣れていない。「僕だけはここにいる」と。

 誰かからの手紙や写真をとっておくのは、思い出を忘れたくないからだ。多くの人は、人生の中で嬉しかったり悲しかったりした様々な記憶を大切に抱いている。特別な瞬間でもささやかなひとときでも、その思い出がある限り、もういない人もその中で生き続けられる。反対に、身体は存在していても人の記憶から消えてしまう……それは恐ろしくて、ひどく寂しいことに思える 。

 バンパネラでなくとも、人が思い出を忘れてしまう悲しさを思い知ることはある。親しい人が共有していた過去を忘れていくと、大切だった時間が失われ、一人だけ置き去りにされたような寂寥感を抱く。

〈メリーベルがぼくを忘れないでいてくれる たったそれだけのことがこんなにも 失いたくない思いのすべてだったなんて〉

 木漏れ日を避けるように涙して、エドガーは呟く。人間ではない者が抱く、計り知れない孤独感が、思いの外私たちと変わらないことに気づかされた。

なぜ幸せでいられないの

 ある時、バラの咲く庭で、エドガーはエルゼリという女性に出会う。ずっと昔、恋人に捨てられた彼女は、愛しい人を思い続けて幸せに暮らしている。そんな彼女にエドガーは不思議と心惹かれ、何度も会いに行く。いつものシニカルな言い回しではなく、率直に思いを伝え、時にはもどかしさをぶつける。

 エドガーの思いを受け止め、親愛の眼差しを向けるエルゼリは、彼にひとつの思い出を語る。昔、恋人との別れの間際に夜の森を歩いていた時、樹々の影を見たエルゼリは「お城が見えるわ」と言った。恋人は、樹々が作った影を見て「ああほんとうだ お城だね」と答える。

〈「そうこたえたあの人が 世界中でいちばん好きだったの」〉

 愚かにも聞こえる彼女の言葉が、エドガーの心を強く震わせた。彼もきっと、ただの樹の影をお城だと信じてみたかったのだろう 。

 メリーベルを失ったエドガーは、愛しい人に二度と会えない悲しみを抱えながら生き続けている。だから「恋人に忘れられても、エルゼリは幸福なのだ」と知って、衝撃を受ける。彼が知らない幸せのかたちが、そこにあったのだ。「なぜ幸せでいられるのか」と問うエドガーに、エルゼリは言葉を返す。「なぜ幸せでいられないの?」と。

 大切な人がもうここにはいなくても、私の愛は変わらない。そう物語るエルゼリの姿は、望んではいない永遠の時を生きるエドガーに、新たな生き方を見せてくれたのだ。

 宝塚の舞台には、まさに「バンパネラの世界」があった。女性が男性を演じることが、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出したことと、舞台メイクや華やかな衣装によって、少女漫画から抜け出したようなキャラクターが再現できたように感じた。ポーの一族を演じた役者たちの、血の気のない顔色には神秘的な美しさがあり、不老不死のバンパネラそのものだった。

 反対に、難易度の高いこともある。それは、「人間を表現する」ことだ。いくら舞台メイクを変えても、役者は全員女性であり、容姿や背格好が著しく違うわけではない。「ただの人間」が表現できなければ、ポーの一族との違いが観客に伝わらないだろう。だが花組のみなさんは、素晴らしい演技でこの違いを見せていた。

 たとえば、ポーの一族と偶然関わることになる女性、ジェイン。ジェインを演じた桜咲彩花(おうさきあやか)さんは、言ってみれば「平凡な婦人」を大変巧みに演じていた。静かな口調や控えめな笑顔の内側に、ジェインの憤り、揺れ動く恋心が潜んでいることが垣間見える演技だった。嫉妬や悲しみを持ちながら感情を表に出さないジェインは人間臭く、彼女がやわらかく微笑むほどに、血が通わないバンパネラの存在はよりくっきりと浮かび上がっていった。

 また別の方向から「ポーの一族」の世界観を作り上げたのは、ブラヴァツキーを演じた芽吹幸奈(めぶきゆきな)さん。怪しげな降霊術を行う彼女は、エドガーたちの正体に迫る人物だ。彼女の得体の知れない様子は、この世のものではないポーの世界と人間たちを交わらせる役目を担っていた。ブラヴァツキーが登場することで、不気味な人間と比べても勝るポーの一族の特異さが、より色濃く出現した。

限りある時を生きる

「死にたくない」、「もっと生きていたい」、それは昔から決してなくならない、人間の望みだ。医療は発展を続け、実際に平均寿命はどんどん長くなっている。しかし、死も老いの苦しみも持たないはずのバンパネラたちから、永遠の命を得た喜びや安堵感は全く感じられない。あるのは、たとえようもない孤独感。そして、そこからひどく歪んだ残酷な感情が芽生えては、関わった人間を不幸に巻き込んでしまう。

 それでもポーの一族と巡り合った出来事を、忘れられない奇跡の記憶として語り継ぐ人たちもいる。永遠の少年の闇をはらんだ瞳、謎めいた微笑みは、出会った者の 心を不思議な力で駆り立てるのだ。エドガーを追う人たちの記録は時代を超えて、物語を繋いでいく。

 エドガーとの邂逅を綴った父の日記に心惹かれた、一人の女性がいた。イギリスからドイツへ渡った彼女は歴史の波に飲み込まれ、激動の生涯を送る。戦争や家族との別れを経験し、年老いたのちに、遠い昔に出会ったバンパネラの夢物語を追いかけた父の思いを理解する。波乱を耐え忍んできた人生を振り返り、彼女は孫に語りかける。

〈「生きて行くってことは とてもむずかしいから ただ日を追えばいいのだけれど 時にはとてもつらいから 弱い人たちは とくに弱い人たちは かなうことのない夢を見るんですよ」〉 

 この作品には、バンパネラの生き方が描かれている。そしてその向こう側に描かれているのは、人間の生き方だ。バンパネラが不老不死の吸血鬼なら、人間とは、なんだろう。成長し、年老いていく。他者と関わり、同じ時を過ごす。やり直しのできない毎日を、重ねていく。そしていつかは必ず、死ぬ。

「吸血鬼が主人公なんて、メルヘンチックな御伽話」と思い込んだ昔の私は、気がついていなかった。バンパネラの生き様を見ることは、人間の世界を知ることであったのだ。

〈船よ 帆かけて進め 空の下 星の下 東へ 黎明へ わたしの心は はるか――あの果てをいく〉

 いつか私は、エドガーと会えるだろうか。たとえそんな機会を得たとしても、彼の一族に加わるほどの勇気はなく、平凡な人間として一生を終える道を選ぶだろう。東の彼方へと消えていくエドガーの船に、手を振ることしかできないに違いないのだ。

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