谷津矢車の重厚な歴史小説から佐々木裕一の王道の時代小説まで――文芸評論家が読み応えのあるエンタメ小説8作品を紹介

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク
  • 二月二十六日のサクリファイス
  • まぼろしの女 蛇目の佐吉捕り物帖
  • 源氏供養
  • 紫式部と清少納言の事件簿
  • この世の花

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ニューエンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文芸評論家の末國善己が、王道の時代小説からファンタジー、ホラー、SFが一体となった物語まで、バラエティ豊かな8作を紹介します。

 ***

 谷津矢車が初の昭和史に挑んだ『二月二十六日のサクリファイス』(PHP研究所)は、松本清張、宮部みゆき、恩田陸、辻原登、植松三十里、奥泉光らが取り上げた激戦区である二・二六事件を題材にしている。

 クーデターは鎮圧されたが戒厳令下にあった一九三六年三月。憲兵隊の林逸平軍曹は、事件を起こした青年将校に近い、実在の技術将校・山口一太郎の身辺調査を命じられるが、なぜか戒厳司令部参謀の石原莞爾が協力を申し出てきた。林軍曹は、論理的な思考を徹底しているが故にどこかユーモラスな山口とその周辺人物から話を聞き、山口が事件とどのようにかかわったのかを調べていく。軍の思惑が錯綜し捜査妨害もある中、林軍曹が地道な捜査を続ける警察小説、天才的な軍人たちが事態を有利に動かそうとする操りの要素があるミステリとしても楽しめる。

 二・二六事件は、天皇親政を目指す皇道派と国家総動員体制の確立を急ぐ統制派の争いとして語られがちだ。これに対し著者は、陸軍内にあった別の対立構造に着目し、新たな視点で事件を捉え直すことに成功している。当時、陸軍内にあった旧弊は現代日本の組織にも残っているだけに、改革は急進的にすべきか漸進的にすべきか、大義をなすためなら手段を選ぶ必要はないのかなどの問い掛けは、重く受け止める必要がある。

 織守きょうやの初の捕物帖『まぼろしの女 蛇目の佐吉捕り物帖』(文藝春秋)は、岡っ引きの父が急死し跡を継いだ佐吉と町医者の秋高が難事件に挑む連作短編集である。各編のタイトルが名作ミステリのもじりになっており、本格ミステリを書くという著者の意気込みが伝わってくる。佐吉の初手柄となる「まぼろしの女」は、女の死体が川から発見されるが誰も正体を知らない謎が描かれる。武家の御新造と出入の貸本屋が賊に斬られ、賊を主人が斬った事件を調べる「三つの早桶」、病に臥せっていた鳶の千次親分が腹心の部下と共に殺される「弔いを終えて」は、現場に残された不可解な状況を論理的に説明する推理と関係者の心情を浮かび上がらせるホワイダニットが鮮やかである。特に出色なのが、大店の息子と大店の娘の結婚が決まり、上方の本家へ挨拶する旅の途中で、娘が殺されて首を切られ、無惨絵を愛好していた息子が消える「消えた花婿」で、ミスディレクションの配置と首切りの理由が、江戸時代でしか成立しないものになっていた。事件の背後に、現代まで受け継がれ江戸時代はさらに深刻だったであろう社会問題が置かれており、社会派推理小説としても完成度が高い。

 森谷明子『源氏供養 草子地宇治十帖』(創元推理文庫)は、紫式部を探偵役にしたデビュー作『千年の黙 異本源氏物語』を含む三作が刊行された〈平安王朝推理絵巻〉シリーズの完結編で、『源氏物語』宇治十帖の誕生秘話になっている。タイトルは、嘘を禁じる仏教の不妄語戒を破って地獄に落ちたとされる紫式部の罪障を消すために開かれた源氏供養に由来している。

 彰子の女房を辞め宇治の寺の庵に隠棲した香子(紫式部)は、藤原顕光の娘・延子から『源氏物語』の続きを促す手紙をもらうが、関節炎の悪化で筆を執れないでいた。藤原道長の息子・能信の従者で坂東から来た須黒の調合した塗り薬で香子の関節炎はよくなるが、その直後から毒を盛られた猫の死体が見つかる。犯人は烏頭(トリカブト類)が入った須黒の塗り薬を使ったのか? 動物を殺す目的は何か? この謎の中に、宮中の権力争い、香子に仕えた阿手木が夫の赴任した大宰府で巻き込まれた刀伊の入寇といった史実や、別人が執筆したとの説がある「匂宮」「紅梅」「竹河」を誰がなぜ書いたのかに著者が独自の解釈で迫る文芸ミステリの要素などが盛り込まれており、歴史小説、古典文学が好きな読者も満足できるだろう。当時の政治、社会の実情を踏まえ香子が宇治十帖を書いた理由は、現代の女性が直面している問題と重ねられていることもあり、迫真性があった。

 大河ドラマ『光る君へ』では、まひろ(紫式部)とききょう(清少納言)が友人とされているが、二人は仕えた相手も出仕した時期も異なるため、実際に会ったかは分かっていない。ただ平安文学の二大スターの共演には魅力があり、これまでも多くの小説が書かれてきた。この系譜に新たに加わったのが、汀こるもの『紫式部と清少納言の事件簿』(星海社FICTIONS)である。

『源氏物語』と彰子の出産の記録『紫式部日記』の執筆に悩む紫式部の前に、『枕草子』を書いた後に行方不明になっていた清少納言が現れる。生きたまま自らを火に投じて衆生を救う火定入滅をするはずだった僧が眠っている間に棺から出され別人が焼かれる、専門家の博士が貴族に意見する明法勘文を博士でない者が行う、亡き定子の遺児を育てていた御匣殿の怪死という三つの事件に二人は巻き込まれてしまう。火定入滅は平安らしいトリックと動機の切れ味が鋭く、後の二つは、一条天皇の中宮にした娘の彰子を使った藤原道長の宮廷陰謀劇と無縁ではないので、政治ドラマ色が濃くなっている。

 冒頭に時代背景と登場人物の詳細な紹介があり、漢字に外来語を含む現代的なルビを振る都筑道夫〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉シリーズを思わせる記述も多いので、平安ミステリの入門書としても最適である。

 シンデレラのような継子いじめの物語は、古代から世界中で語り継がれている。その伝統を受け継いだ佐々木裕一『この世の花』(ハルキ文庫)は、往年の大映ドラマや昼メロが好きだった方には特にお勧めしたい。

 徳川譜代で七千石の大身旗本・真島兼続の妾腹の娘・花は、母が商家出身のため正妻、他の側室、その子供たちから見下されていた。花を気にかけてくれていた兼続が大坂城番の与力を命じられ江戸を離れると、その直後に母が亡くなる。兼続の目が届かなくなった真島家では、正妻とその取り巻きによる花へのいじめが激しくなり、母と暮らした家が壊され幽霊が出る噂がある先代夫婦の離れに移されたり、嘘の使いに出され人買いに連れ去られたりする。美しく聡明な花は、兼続の長男・一成、その親友で大身旗本の長男・青山信義らに可愛がられていた。だが真島家の娘たちが信義との結婚を狙っているため、花へのいじめに拍車がかかってしまう。

 壮絶ないじめの数々は読み進めるのが辛くなるほどだが、逆境に負けず正しく、美しく生きようとする花からは、勇気と希望がもらえるはずだ。次に繋がるような幕切れなので、シリーズ化を期待したい。

 河野裕『彗星を追うヴァンパイア』(KADOKAWA)は、即位したカトリックのジェームズ二世と、それに反対する英国国教会(プロテスタント)派が争った一七世紀を描く歴史小説、世界にヴァンパイアが実在するファンタジーにしてホラー、ヴァンパイアとは何かを科学的に検証しようとするSFが渾然一体となっている。

 オランダ出身で英国貴族の養子になったオスカーは、ケンブリッジ大学でニュートンに数学を学んでいたが、ジェームズ二世の即位に反対するモンマス公爵軍と戦うことになる。その前線でオスカーは、長槍で突かれても死なず、翼をはやし空を飛ぶ謎の男アズと出会う。

 自然哲学を学ぶオスカーは世界には強固なルールがあると考えていたが、アズには既存のルールが適用されそうにない。オスカーは師のニュートンにアズを会わせるが、二人は旧知でニュートンはアズをヴァンパイアと呼んでいた。アズが進めるヴァンパイアの探求には、冷酷な女性ヴァンパイアの策動、カトリックとプロテスタントの争いの鍵になるかもしれないオスカーの出生の秘密、血を与えた人間をヴァンパイアに変えた軍団の誕生などもからみ、最後までスリリングな展開が続く。

 人類の知識や科学で解明できないヴァンパイアは、未知の象徴のように思えた。人間は、社会の中のマイノリティや、自分とは異なる人種、民族、宗教の人たちに誤解、偏見を持ちがちだが、それは相手を理解しようとしない無知が原因である。未知のヴァンパイアを恐れず研究しようとするオスカーは、学んで無知を減らせば社会も人生も輝きを増すと気付かせてくれるのである。

 タイトルにインパクトがある五条紀夫『私はチクワに殺されます』(双葉文庫)は、看板に偽りはないが想像を遥かに超えていた。大量のチクワが散乱した戸建ての借家から、首を吊って死んだ男と刺殺された妻が見つかる。男の手記によると、トラック運転手の男が、車内でチクワを食べている時に穴を覗くと、その先にいた作業員が事故死した。チクワの穴から覗くとその人の死に様が見えると考え何度も検証した男は、チクワで覗くと相手が死ぬと結論付け、チクワから人類を守る行動に出る。その方法は馬鹿馬鹿しくも常軌を逸していて恐ろしいが、取材を受けた男の娘はホラーめいた手記を合理的に説明する。しかしジャーナリストの書いた小説では娘の推理が覆されるので、全体が多重解決ミステリになっている。冗談のような幕開けとロジカルで伏線回収も鮮やかな結末はギャップがあり、それも衝撃を大きくしている。

 白井智之『ぼくは化け物きみは怪物』(光文社)は、エログロは抑えられているものの決して万人にはお勧めできないが、ミステリが好きなら絶対外せない短編集だ。

 名探偵になるため奮闘する小学生とある独裁国家が開発した新兵器のエピソードが意外な形でリンクする「最初の事件」、言葉で人間を操り死刑判決を受けた女が、宇宙人の侵略から人類を救う切り札になる「大きな手の悪魔」、昭和初期を舞台にした時代ミステリで、タイトルの意味が分かった瞬間が衝撃的な「奈々子の中で死んだ男」は、最後まで着地点が見えないだろう。見世物小屋を舞台にした「天使と怪物」は、特異な設定と緻密な推理が光る著者らしい一編で、収録作には外れがない。

角川春樹事務所 ランティエ
2024年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク