「時代小説の面白いところ全部見せます」砂原浩太朗が描いたロマンス、剣戟、頭脳戦、人情ありの新境地

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浅草寺子屋よろず暦

『浅草寺子屋よろず暦』

著者
砂原 浩太朗 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414715
発売日
2024/09/27
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

砂原浩太朗の世界

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

時代小説の書き手として、今最も注目を浴びる著者・砂原浩太朗。その最新作『浅草寺子屋よろず暦』。王道の時代小説としての良い応えが詰め込まれた、この小説の魅力とは? 書評家の大矢博子が語る。

 ***

 江戸時代には、今よりずっと強固な枠があった。生まれた身分、生まれた家でその枠が決まり、大抵の場合はそこからはずれることはない。武士の子は武士に、町人の子は町人になる。身分だけではなく、たとえば父であったり妻であったり、長男であったり次男であったりという家族内の役割もまた、枠だ。

 許されるもの、求められるものがしっかり決まっている、枠。

 砂原浩太朗はその枠の中で生きる人々をさまざまな視点から描いてきた。

 出世作となった『高瀬庄左衛門御留書』では枠に課された義を全うしようとする様子を、『黛家の兄弟』では枠を最大限に利用して目的を遂げる姿を、『霜月記』では枠から逃げ出した父と枠を守る息子を、それぞれ紡いできた。新境地となった市井ものの『夜露がたり』は、それまでの武家とは異なる町人の枠と、その中で足掻く人々の物語だった。

 ところが、である。『浅草寺子屋よろず暦』では、異なる枠を持つ人々が交わる様子が軽やかに描かれているではないか。個別の枠に特化してきた従来の作品とは趣が異なるのだが、これがまた、いいのだ。

 大滝信吾は浅草寺の境内にある正顕院に寄宿し、寺子屋を開いている。旗本の次男、しかも妾腹という立場と、家督を継いだ兄の鷹揚さのおかげで自由に暮らせるのだ。寺子屋に通っているのは長屋暮らしの職人の子から武士の子までさまざま。そんな子どもたちの家庭のトラブルや信吾自身の問題などが連作で綴られる。

 大工の借金の事情を探る「三社祭と鬼」、女の子が急に寺子屋に来なくなる「紫陽花横丁」、浪人の息子が夜中に出かける父を心配する「父と子」、魚売りが急に顧客を失う「片陰」、とある人物の仇討ちに巻き込まれる「秋風吟」、そしてここまでの事件が思わぬ展開を見せる最終話「錦木」。

 武家と町人、それぞれの事情が時には重なり、時には並行して語られる。しかも信吾は武士と深川の芸者の間に生まれ、幼い頃は町方で育ったという設定だ。なるほどこれならさまざまな状況が書ける、と膝を打った。子どもの父親を助けるため時には破落戸たちとも渡り合ったり、賭場の場面や粋筋との付き合いも出てきたり。その一方で、兄が就いている御膳奉行の話や、一人娘しかいない兄から後継を打診されるなんて展開も。ロマンスあり、剣戟あり、頭脳戦あり、人情ありで、「時代小説の面白いところ全部見せます」みたいな詰め合わせなのだ。これは毎回味わいが変わって楽しい!

 しかしただのバラエティキットではないのがポイント。浪人の父を思いやる息子を登場させる一方で、上意討ちで死んだ父の仇を追う息子もいる。母が妾であることに悩む町人の娘と、同じ妾腹でも武士の信吾とを重ねる。友を見捨てた過去を悔いる大工と、友を討った過去を抱える元武士を並べる。まっすぐな町人の恋と、システムの決まっている武家の恋を対比させる。

 異なる枠の中で暮らす者たちを同時に出しながら、何かを大切に思う気持ちや、取り返しのつかない過去を悔いる気持ちなどは、武士も町人も同じなのだと伝わってくるのだ。問題への向き合い方も、解決の方法も異なるが、根底に流れる思いは同じであるということを、だから枠を超えて手を携えていけるのだと本書はさまざまなやり方で描いているのである。なんと力強い物語だろう。

 しかしそれでも超えることのできない枠は厳然として存在する。好きになった相手が身分違いだったと知る町娘が印象的だ。この枠は超えられないことを彼女はわかっている。彼女がわかっていることを相手もわかっている。他の登場人物も同じだ。どれだけ思いを共有しても入っていけない場所はある。守らねばならない枷はある。だからこそ、心のつながりが尊いのである。

 枠が交差することで生まれるもの─それが本書だ。

 物語はここで一段落するものの、まだまだ続きが書けそうな設定なので、ぜひ続編を期待したい。ロマンスのその後も気になるし、枠を飛び出たいという思いを持っているらしい姪のこれからも気になる。様変わりしそうな寺子屋の今後も見てみたい。

 そうそう、気になると言えば、終盤でさりげなく触れられる酒の名前に注目。この銘柄は著者の別の小説に出てきたものだ。もしかして同じ世界線なのか? ということはこの先、信吾があの場所を訪れる可能性も……?

 いやはや、これはやはりなんとしても続きを書いてもらわねば!

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【著者紹介】
砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
1969年生まれ。2016年、「いのちがけ」で、決戦!小説大賞を受賞してデビュー。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』が山本周五郎賞と直木賞の候補になったほか、野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞、2022年には『黛家の兄弟』で山本周五郎賞を受賞した。著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』『霜月記』『藩邸差配役日日控』『夜露がたり』などがある。

角川春樹事務所 ランティエ
2024年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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