いま最も注目される時代小説の書き手・砂原浩太朗が語る 新作『浅草寺子屋よろず暦』の執筆の背景

インタビュー

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浅草寺子屋よろず暦

『浅草寺子屋よろず暦』

著者
砂原 浩太朗 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414715
発売日
2024/09/27
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

砂原浩太朗の世界

[文] 角川春樹事務所


砂原浩太朗

 山本周五郎賞他、数多くの文学賞を受賞するなど新作が出版される度に注目を集める作家・砂原浩太朗による新たな時代小説『浅草寺子屋よろず暦』が刊行された。

 これぞまさに王道といえる作品がどのようにして書かれたのか、また著者が目指す今後の作品の方向性を、東えりか氏によるインタビューで明らかにしていく。

寺子屋を舞台にした市井ものという挑戦

東えりか(以下、東) 新刊『浅草寺子屋よろず暦』は今までの砂原作品とはだいぶテイストが違いますね。ポップというかファンキーというか……。

砂原浩太朗(以下、砂原) ファンキーですか(笑)。何だろう。

東 砂原作品といえば神山藩シリーズを筆頭に武家の掟やしがらみを描いた重厚な作品を想像する読者が多いと思うのですが、今回はその重さを排除された印象でした。

砂原 ああ、なるほど。最初からそうしようと思っていたわけではなく、この物語が明るいトーンを求めたんですよね。寺子屋を舞台にすれば子どもたちがメインになりますから、彼らの持つエネルギーに引っ張られました。題材そのものがこういう小説へ導いたんだと思います。

東 江戸市井ものでは前作『夜露がたり』では江戸町人の抗えない苦しさに共感したのですが、今回は正反対の軽さが魅力です。

砂原 これも結果的にそうなったんです。自分のなかにある「テレビ時代劇風味」のようなものが出てきた気がします。おもに三十歳くらいまでですが、さんざん観ましたからね(笑)。毎回いろいろあっても、トータルとして後味のいいところがどの番組も共通していました。

東 市井ものの難しさはどんなところですか。

砂原 武家ものには制約が付いてまわりますが、それは必ずしもマイナスではなく、うまく活かせることも多いです。いっぽう制約が少ない市井小説は自由度が高いぶん、選択肢も膨大に広がるので迷いも増えますね。この作品は武家ものと市井ものの良いとこ取りになったかもしれません(笑)。

東 浅草寺の中の寺子屋という発想はどこから来たんですか。

砂原 企画段階で担当編集の方といろいろ話をするうち、テーマ候補のひとつとして寺子屋を提案されました。それを聞いた瞬間、「あ、いける」と直感したんですね。自分の筆致にすごく合っていると思いました。子どもを書くのは、わりと得意だという意識もありましたし。最初は浅草じゃなくて橋を渡った押上あたりでと考えていたのですが、話を詰めていくなかで、やはり編集側から、浅草のほうが面白いんじゃないかという意見が出まして。武士も商人も職人もいて、貧富の差もある繁華街のほうが、さまざまなドラマが生まれるだろうというんです。なるほどと思って採用しましたが、後で聞いてみると、ようは担当編集者が昔から浅草好きだったということらしい(笑)。そんなわけで、本作のスタートに関しては、担当の方におんぶに抱っこなんですけど、実はこういうところが職業作家の妙味だと思っていて、ひとりだけでは生まれなかっただろう作品が自分のなかから出てくる、という面白さがありますね。それで、どうせなら浅草の顔ともいうべき浅草寺の中で寺子屋を開かせたい、と思ったのですが、何しろ千四百年近い由緒を持つ名刹ですから、そんな設定を勝手に使っていいものかどうか躊躇していました。ちょうどそんなとき、二十年来お付き合いをいただいている青柳正規先生(東京大学名誉教授、元文化庁長官)が浅草寺の偉い方と親しいことがわかり、ご紹介いただいたんです。第一回執筆目前という、ぎりぎりのタイミングでした。さっそく会いに行き、「浅草寺さんのなかに寺子屋がある設定にしてもいいでしょうか」と恐る恐る申し上げたら、「どうぞどうぞ」と鷹揚に許してくださった上、資料までご提供いただいたんです。例えば第四話で主人公の信吾が本堂にお詣りするシーンがありますが、当然これは江戸時代の本堂で今とは違っています。描写するに当たって、天井画も改修前の写真を拝見できましたし、当時は巨大な絵馬がいくつも飾られていたんですが、現在非公開の現物まで見せていただきました。さらに念を入れ、学芸員の方にチェックまでしていただいて。「協力 金龍山 浅草寺」とクレジットがあるのは、そういう事情なんです。

東 そういうご縁は貴重ですよね。

砂原 いや、感謝してもしきれません。お墨付きを賜ったようなものですから、こちらも安心してフィクションを広げられますしね。いま雷門を抜けると左右に仲見世が続いていますが、江戸時代はそこにいくつも子院が並んでいました。そのうちの一つで寺子屋を開くという設定は、浅草寺の方とお話ししているなかで生まれたものです。そんなわけで、あれもこれも、作者がびっくりするくらい運のいい作品なんですよ(笑)。

著者自身、登場する子どもたちからエネルギーを貰った作品


東えりか

東 主役をふくめ、登場する人物の仕事はどうやって選んだんですか。

砂原 町場らしく、威勢のいい魚屋とか、女性たちのファッションリーダーにもなる錺職人とか、なるべくバリエーションを持たせるよう心がけました。今までの作品は土地や血のしがらみを描くことが多かったのですが、今回は「人と人との縁」みたいなものをしっかり書いていこうと思いました。主人公である大滝信吾の行動原理はシンプルで、周りの人たちには不幸になってほしくないという思いなんです。生徒もその親も、自分の親族も、お世話になっている住職も苦しんでほしくない。大義や正義を振りかざすのでないところが現代風かもしれませんね。読者にも共感してもらえるんじゃないかな。

東 自分は旗本の妾腹だけど、腹違いの兄との関係も良好で、不幸な目にあまり遭ってない。それだからでしょうか、信吾は明るい。

砂原 やはり、子どもたちの相手をしてエネルギーを貰っているからでしょうね。冒頭の三社祭のシーンなどは、まさに「ザ・浅草」ともいうべき熱気に満ちています。

東 三社祭で始まることで浅草の風景が目に浮かびます。連作短篇の構成は最初から考えていたのですか。

砂原 大まかにはあったんですが、この作品に限らず、書いていくうちにどんどん変わっていきますね。本作でいうと、裏社会の元締め・狸穴の閑右衛門と信吾を最後に対決させる、ということは決めていました。あとは各話の主人公になる子どもを配置して、徐々に閑右衛門との距離を縮めていくようにして。ラストの対決シーンは大好きな歌舞伎の大詰めのイメージです。

東 この小説のこと、すごく楽しそうにお話しされますね。

砂原 ぼくも作中の子どもたちからエネルギーを貰ったんでしょう。書いていて楽しかった場面やエピソードも多々ありますしね。たとえば第五話のミステリー的な展開なんて、とくに気持ちよかった。寺子屋の大家さんである住職・光勝の素姓は最終話の一つ手前で明かすと決めていまして。

東 あのあたりを読んでいると、ドラマ化したらどの役者がいいか考えてしまいました。

砂原 浅草寺や三社祭、町場の風景は絵になるし、寺子屋もイメージを描きやすい。キャスト談義は楽しくていいですね。

東 「御膳奉行」という仕事も初めて知りました。

砂原 三百五十石の旗本って大身というほどの石高じゃないのに、将軍さまの食を差配しているのは面白い。その次男坊だし、どこか親近感があるでしょう。

東 確かに身近な感じがします。町の娘が憧れてもおかしくない。

砂原 第二話で妾腹だとカミングアウトして、周りとの距離がいっそう縮まったんじゃないかな。身近な先生という造型にしたのは、学園ドラマの影響もあるかもしれません。信吾のまわりには本当にいろいろな人がいる。しっかりした女の子もいるけど、だめ親父も登場したり。でもみんなが何かしら、その人なりの役割を果たしている、というのは心地いいですよね。

東 終盤になって「おお、こうきたか」と膝を打ちましたよ。スカッとしましたね。

砂原 ありがとうございます。結末に関することなので、ここでは言えませんが(笑)、ラストの仕掛けも書きながら決まっていったところです。ああいうふうにうまく収まると、書いているほうも気分がいいです。

東 女性が活躍するのもカッコいい。

砂原 おかみさんたちが頑張ってますからね。ぼくの執筆姿勢として、どの登場人物にもなるべくひとつは見せ場を作ってあげようと思っています。父親たちがけっこう子育てに参加しているのは、現代風かもしれませんね。

東 テレビを見て育ったわれわれが共通して持っている時代劇のイメージって多分一緒なんですよ。落語でもおなじみですし。砂原さんの小説では鳥や植物、虫の名前がたくさん出てきて季節感を出していますが、もともと自然がお好きなんですか?

砂原 ぼくは神戸のまんなかの繁華街で育ちまして、身近に自然が少なかったぶん、よけい意識するようになりました。今作はストーリーの進展につれて季節がめぐっていくので、風景描写でそれを実感してもらおうと思いましたが、他の作品でも意識的に自然描写を取り入れています。植物や鳥の名前って字面が綺麗でしょう。黄鶲なんか、難しい字だけど雰囲気がありますしね。

東 神戸は都会のうえに人種のるつぼみたいですしね。

砂原 そうですね。ぼくはふつうの公立小学校に通っていたんですが、インド人や台湾人、帰国子女の同級生もいました。さまざまな人が集まる江戸時代の浅草に似ていたかもしれませんね、いま初めて気づきましたが。

東 さて、信吾のこれからが気になります。

砂原 物語が終わっても、作品世界はまだ続いているという意識が根にあるので、これに限らず、拙作は続編がありそうな雰囲気で終わることが多いです。狙っているわけじゃないんですけど(笑)。読者の声次第ですが、信吾や浅草の子どもたちの成長を書き継ぎたい気もちは大いにありますね。応援していただけたら嬉しいです。

 ***

【著者紹介】
砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
1969年生まれ。2016年、「いのちがけ」で、決戦!小説大賞を受賞してデビュー。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』が山本周五郎賞と直木賞の候補になったほか、野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞、2022年には『黛家の兄弟』で山本周五郎賞を受賞した。著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』『霜月記』『藩邸差配役日日控』『夜露がたり』などがある。

【聞き手紹介】
東えりか(あづま・えりか)
千葉県生まれ。書評家。「小説すばる」ほか各メディアで書評を担当。またノンフィクション紹介ウェブサイト「HONZ」の副代表を務めた。(2024年7月15日閉鎖)

構成:東えりか 写真:島袋智子

角川春樹事務所 ランティエ
2024年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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