『文車日記(ふぐるまにっき)』
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こころときめきするもの
[レビュアー] 北村薫(作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「赤ん坊」です
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田辺聖子の『文車日記』は、古典の世界への、まことに優れた、しかも楽しい案内書です。
清少納言については、〈こんにちの研究では、結婚して、一子をあげたのではないかと推定されて〉いるけれど、それが事実としても、「枕草子」から読み取れるのは〈子供縁のうすい女〉だといいます。
彼女は、赤ん坊や幼な子のやわらかな肌、愛らしい笑顔、声を、物ぐるおしいまで、飽かず賞で、いつくしみます。
「こころときめきするもの。ちご遊ばする所の前、わたる」
田辺は、これを〈第三者的な好奇心〉だといいます。
「いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍(染めの色)のうすものなど、衣長にてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、みなうつくし」
〈うつくし〉は現代語の「かわいらしい」に当たります。田辺は、こういった書き方に〈自分が自由にできない、この愛らしいせつない生きものへの憧憬・羨望の影〉を感じます。だからこそ、清少納言は〈子供のいやらしさ、にくらしさも鋭く指摘〉する。この距離感が素晴らしい。「枕草子」は、子を持たぬ女の〈颯爽たる〉文学だといいます。
『文車日記』は、事実よりも、田辺にとっての真実を語る魅力的な本なのです。