『ピアノを尋ねて』
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登場人物は夢叶わぬ人たち その“夢”の本当の意味とは
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
二〇二〇年に発表された本作は、台湾文学金典奨、第八回聯合報文学大賞といった文学賞を総なめにし、「聴覚小説」と、台湾の小説家周芬伶に言わしめた。音楽を読むとはどういうものだろうと手にしたが、そのポリフォニックな群像劇に、すでに還暦を越えた身としては、考えさせられる事しきりであった。
それも、訳者倉本知明のあとがきを読んで、より一層明白になった。
語り手である「わたし」は楽譜を暗記出来、聴いた音楽を再現出来る耳と、力強く鍵盤に触れられる両掌があった。正しく天賦の才だ。しかし……。
彼が語る登場人物は、音楽家の若い妻を亡くした初老の実業家。幼い頃から目を掛けてくれた先生。その同級生で、プレッシャーに押し潰されそうなピアニスト―皆音楽と関わりながらも、グールド、ラフマニノフ、シューベルト、リヒテルといったクラシック界の巨匠のような音楽家を夢みては叶わなかった人たち(実業家以外―彼の叶わなかった夢は別のもの)。そして多くの夢は「天の時、地の利、人の和に頼ってしか叶わない」ものだと悟る事―そしてその“夢”の本当の意味とは?
「最後の最後に自分のこころを安らかに保って、後悔しなかったと思えるものがあるかどうか」が重要で、本来あるべきこころの主旋律を持つ事が出来るかどうかが大事なのだと深く教えてくれた。原題『尋琴者』とは、中国語での掛詞にもなっていて、音楽=「琴」(ピアノ)を通じて「情」を尋し求める事だと分かる仕掛けになっているそう。「情」とは、愛情、友情など、人間味のある心、他人をいたわる心―つまり本来人間が備え持つもの―生きる事の意義、人生そのものだ。
自己嫌悪、凡人の自我、足手まといの幻覚等、様々な音楽を読みながら、老い、孤独、後悔といった人生のマイナス面を突き付けられ、その深淵に立ち竦み、なおその先に“夢”という光を与えてくれた作品だ。