『イッツ・ダ・ボム』
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ルールそのものを作りかえるグラフィティ文化の本質的な営み
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
壁の落書きで暴走族の「夜露死苦」が真っ先に思い出されるのは昭和世代だろうが、あのような趣ある万葉仮名とは異なり、最近は彩りも華やかな横文字ばやりだ。
「グラフィティ」というそうで、高架下とか大看板の裏とか、街中でしょっちゅう目にするが、あまり気にすることはなかった。それは描くものでなく、書くものだという。グラフィティは何が書かれているかより「俺はここにいたぞ」という署名であることが重要なのだ。
グラフィティの世界を描くこの小説は、前半で、記者の取材というかたちで自然に読者を啓蒙する。アーティストよりグラフィティライターと呼ばれることを好む表現者たちを通じて現代文化が垣間見られる。
現代文化やアートに興味がなくとも、後半の新旧二人のライターの対決には引き込まれるだろう。グラフィティは公共の場に勝手に書かれることが多く、それゆえ、上から他人が重ね書きしても、元の書き手は文句が言えない。二人の対決はそんなグラフィティの暗黙の了解を利用したものだ。
自分の存在証明たる署名を塗り潰された方はさぞかし腹が立つだろうと思うが、しかし、喧嘩を売られた側は、勝負のさなかに「久しぶりで嬉しくなっ」てしまう。なぜか。
ここにはスポーツ的勝敗とは異なる種類の対決がある。スポーツが既に決まったルールの中での戦いであるのに対し、この対決においては、何が勝ちで何が負けかを当人たちが決めていく。上手い下手だけでなく、グラフィティとは何なのか、何であるべきかという本質論が、書かれたグラフィティを通じてはじめて明らかになる。
しかし、ということはこれはやはり芸術小説だ。芸術とはルールそのものを作りかえる営みだからだ。
ルールを超えるスリリングな戦いは、正義中毒社会に辟易している者に深く刺さるだろう。