『ひっくり返す人類学』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
<書評>『ひっくり返す人類学 生きづらさの「そもそも」を問う』奥野克巳 著
[レビュアー] 荻原魚雷(エッセイスト)
◆穏やかに過ごすためのヒント
人類学は現地調査を通して人類の文化や生活の共通性、多様性などを研究する学問である。「日本の常識は世界の非常識」といった習慣やモラルの違いは世界中のあらゆる地域に存在する。
今の社会に息苦しさを覚える。人間関係がうまくいかない。はたしておかしいのは自分なのか、それとも世の中のほうか。
人類学者の奥野さんは1980年代後半から東南アジア地域のフィールドワークをはじめ、ボルネオ島北西部(マレーシア領)の狩猟採集民「プナン」に関心を抱くようになった。現在、奥野さんは「聞き流す、人類学。」というユーチューブ番組を作っていて、同番組を手伝うメンバーら3人と「プナン」の暮らしを体験する。
「プナン」の共同体はモノや財だけでなく、知識や技能も共有している。そして教える、教えられるという関係がない。そのため貧富の差もない。ただし「ラケ・ジャアウ(大きな男)」と呼ばれるリーダーのような人はいる。「プナン」では「皆で分かち合う経済を他の人よりも積極的に行う人物」が「ラケ・ジャアウ」になる傾向があるようだ。気前がよくて、寛大であること─それが「プナン」のリーダーに求められる資質なのである。
熱帯雨林で暮らす「プナン」の価値観を知るにつれ、自分が固定観念にとらわれていたことに気づかされる。
第3章は「心の病」や「死」の問題に言及している。狩猟採集民の社会では「心の病」を患っている人はほとんどいない。常に誰かが側(そば)にいて仲間のことを気にかけている。個が集団に溶け込み、自他が混ざり合っている。また便利で快適とはいえない彼らの暮らしの中にも精神を穏やかに保つためのヒントがあるかもしれない。
世界には自分たちの常識の通じない暮らし方が無数にある。単純にどちらがいいかわるいかではなく、さまざまな文化や風習などを対比することで思考の幅が広がる。
人類学の知見が私たちの「当たり前」を次々とひっくり返していく。
(ちくまプリマー新書・946円)
1962年生まれ。立教大教授。著書『絡まり合う生命』など多数。
◆もう1冊
『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』奥野克巳著(新潮文庫)