『言霊の幸う国で』李琴峰著

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言霊の幸う国で

『言霊の幸う国で』

著者
李 琴峰 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784480805188
発売日
2024/07/01
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『言霊の幸う国で』李琴峰著

[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)

差別、誹謗 作家の闘争史

 これは、一人の作家が一生に一度だけ書く、書ける本だ。どんな本も書かれるのは一度だけ、それはわかる。けれどこの熱量と密度を伴った本は、きっと一生に一度だけ。

 主人公はLこと柳千慧。ここだけ著者と名前が違い、あとは評論家も作家も実名で書かれる。

 これは私小説だろうか。作中では「『おおやけ』と『わたくし』の間、『フィクション』と『ノンフィクション』の狭間にしか存在しないのではないか」と書かれる。個人的な物語を越え、小説を越え、個人個人の、同時に社会の問題として存在する。これは大いなる挑戦であり、魂を削って書かれた言葉たちだ。

 台湾生まれ台湾育ち、日本語で小説を書くLは芥川賞を受賞する。その日から、受賞記者会見のコメントや、過去のSNSの発言を巡り、いわゆるネトウヨや文壇からの誹(ひ)謗(ぼう)中傷が始まる。同時に、過去にLが付き合っていた女性が再び現れ、執(しつ)拗(よう)なストーキングが始まる。

 言葉が、態度が、関心が、無関心が、あらゆる事象がLを傷つける。日本に住む台湾人、レズビアン、様々な違いが攻撃の対象になる。

 「Lの思想も信条も経験も人生も、何もかもが捨象され、虚像だけがわら人形よろしく人々の想像の中で一人歩きし、そんなわら人形を、人々は喜んで持ち上げたり叩いたりする」

 満身創(そう)痍(い)になり、自衛のために振り上げた拳さえ曲解され、Lはただ一つ自分に残された「書くこと」という手段で自身の尊厳を守ろうとする。一〇〇〇枚、三四万字にわたる闘争史。

 現実の言葉や事件を取り入れながら、真ん中に一つ大きなフィクションを入れることで、虚実のバランスを保っている。

 読みながら、どうやって終わるのだろう、と思った。最後、バトンはわたしたちに返される。Lの物語は開かれ、わたしたちの物語になる。

 言霊があるのならば、ここに書かれた言葉の魂を、読んで受け取って欲しい。(筑摩書房、2860円)

読売新聞
2024年9月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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