アウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは?

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アウシュヴィッツの小さな厩番

『アウシュヴィッツの小さな厩番』

著者
ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784105074319
発売日
2024/08/09
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

アウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは?

[レビュアー] 辻山良雄(「Title」店主)

 ドイツ生まれのユダヤ人少年の幸せな日々は、突然終わりを告げた――3つの強制収容所を生き延びた少年が綴った一冊がある。

 ケルンから強制移送された2011人のユダヤ人の最後の生き残りで、2019年に90歳で死去したヘンリー・オースターさんによる実話『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)だ。

 家を奪われ、父と母を亡くし、強制収容所で不自由な生活を送った少年は、ヒトラーが指導者となったときから何を見て、何を思い、どう生き抜いてきたのか?

 人間が失うことのできるほとんどすべてのものを失った少年が綴った本作を、荻窪の書店「Title」の店主・辻山良雄さんが紹介する。

 ***

 本書の主人公であるヘンリー・オースターは、アメリカで検眼士として成功を収めたが、かつてはドイツ人の男の子で、名をハインツ・アドルフ・オースターといった。彼はドイツ西部の国際色豊かな都市・ケルンで生まれ、裕福で何不自由のない生活を送っていたが、アドルフ・ヒトラーと彼が率いるナチ党が政権をとってから、そのあかるさには急激に影が差しはじめた。そう、ハインツ(ヘンリー)の一家は、ユダヤ人だったのである。

 劣等な人種は、ドイツ人の資格がないという優生学的思想に囚われていたヒトラーは、ユダヤ人を「不適格者」として忌み嫌い、次第に弾圧を強めていった。ハインツが12歳だった1941年10月のある日、ハインツの家族はケルンを追われ、ポーランドのウーチ・ゲットーに収容され、その後、強制収容所へと移送される。早い段階で父と母を亡くしてしまった彼は、平時であれば友だちに囲まれ、自らの人間性を育む時期だったのだろうが、収容所にいたほとんどの時間をひとりきりで過ごした。ハインツは戦争が終わるまで、三つの強制収容所(ビルナケウ、アウシュヴィッツ、ブーヘンヴァルト)に収容され、その間九死に一生を得るという体験を何度もくり返しながら、それでもどうにか生き延びていく。

 収容所では、どのような行為が死に結びつくかわからない。そこではそのときたまたまいた場所が、生死を分けるのだ。

 あなたに起こったこととして、想像してみてほしい。

 いま目のまえで二つに分かれた道があり、あなたはそのどちらかに進まなければならない。

 一つはそのまま「死」へと続く道で、そちらを選べば、あなたはすぐに銃で撃たれるかガス室に入れられてしまう。そしてもう一つの道を選んだからといって、それがそのまま「生」を意味するわけではない。あなたはいつそれが終わるのかわからない、過酷な状況に留め置かれたまま、その先にはまた分かれ道が続いている……。辛い想像を強いてしまったかもしれないが、それが収容所でのユダヤ人が置かれていた状況なのだ。

 ハインツ一家のように、ケルンからウーチへ強制移送させられた2011人のユダヤ人の中で、終戦時に生きていたものはわずか23人。生存率としては約1パーセントで、驚くべき数字である。物語を読み終えた読者には、彼はほんとうによく生き延びたなという感慨が、心のうちに湧き起こるだろう。

 そうした過酷な状況のなか、ハインツがアウシュヴィッツで従事させられた厩番の仕事は、彼が人間としての尊厳を保つことに一役買ったのではないか。当時のドイツ軍は、兵士や武器、食料を運搬する馬車を引く軍馬を大量に必要としており、こうした厩で馬が種付け・飼育されていた。人間性を削って生き延びざるを得ない収容所の暮らしでは、干し草や、馬の糞尿の臭いは、〈生〉を感じさせる数少ないものだったのだ。

 ハインツはのちに解放されたとき、自らのうちに、かつての幸せな少年が変わらずいることを発見した。彼はそのとき、「ナチ党はわたしを身体的に虐待したが、それに完全に屈したことは一度もなかったのだ」と理解する。それは、一人の人間としての尊厳だろう。そうしたぎりぎりの尊厳が、肉体は明け渡しても精神までも明け渡さず、いつ狂ってしまってもおかしくはない現実のなか、彼を生き延びさせたのだと思う。それは恐るべきことだ。

 終戦後、戦争孤児だった彼は、様々な偶然や、周りの人の親切にも恵まれて、アメリカに渡った。そのころ名前も、ハインツからアメリカ風のヘンリーへと非公式に改め、「アドルフ」という忌々しいミドルネームはすぐに捨てた。

 後年彼は、もう二度と戻るまいと決意していたドイツを訪れた――ケルンから強制移送されたユダヤ人の最後の生き残りとして、ケルン市が彼を招待したのだ。ヘンリーはもう古めかしくなっていた、彼自身のドイツ語でスピーチした。

「あの空恐ろしい数々の出来事が起きたとき、教養ある文明人であるはずの人々が自ら進んで誤った方向に導かれてしまうという悲劇がいったいなぜ起きたのか、世界は理解できませんでした。人々は懸命に努力しましたが、今もなおその謎は解明されていません」

 ナチスによるユダヤ人の大量虐殺は、人類がこれまで行ってきた数々の愚行のなかでも、その最たるものだと思う。だが、今後そうしたことが起こらないとは、誰にも言い切れない。いまだ世界各地で憎しみの連鎖は続いているし、日本においても、戦争がいかに非・人間的な行為でなぜそれをしてはならないのか、そのことを身をもって語ることのできる人が減ってきている。

 だからわたしたちは、戦争を概念として知っているだけでは不十分で、本を読まなければならないのだ。その凄惨な出来事を、我がこととして考えるために。何度でも。

新潮社
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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